目次

[1]小・中学で学んだ右手の押し込みとトレーニングの考えが植田の基礎を作り上げる/低めと変化球の見極めを大事に、高校でも長打力開花
[2]甲子園4本目のホームランはベストホームラン
[3]社会人では日本代表を担える強打者へ

 高校通算63本塁打の植田 拓。植田は165センチという身長しかない。野球選手としては小柄な植田がなぜ高校球界を代表するスラッガーへ成長したのか。幼少時代からルーツがあった。体が小さい野球選手に勇気と希望を与えるインタビューをお届けしたい。

小・中学で学んだ右手の押し込みとトレーニングの考えが植田の基礎を作り上げる

「あの身長であそこまで本塁打を打てる選手は長い指導者生活でも初めてです」と植田の凄さを語る関口監督。植田の長打力のルーツを探ると、小学校時代までさかのぼる。小学校2年生の時に野球を始めた植田。植田がホームランを打てる選手になったきっかけは小学校5年生の時。当時、所属していたリトルの指導者から定められたルールを守らないとグラウンドで練習できないルールがあった。

「グラウンドの横で、1000球ティーを打たないと入れないのですが、とにかくバットを振った記憶があります。それが今につながっているといえます」
バットを振る体力。植田は小学校時代に培った。そして植田の祖父から今でも大事にしている技術的な金言を授かった。

「右手の押し込みですね。インパクトの際に、右手をどれだけ強く押し込むことができるか。それが飛距離として変わってきて、詰まった内野フライが、サードの後ろに落ちたり、一押しがきいてホームランになることを実感しています」


 多くのスイングを重ねて打撃の基礎を作り上げ、祖父のアドバイスによって自分の技術を築き上げた。そして中学校では強打を発揮するパワーを養った。

「僕は貝塚シニアに所属していた時に、陸上部の先生に誘われて、砲丸投げをやることになったのですが、いろいろなトレーニングを教わって、そこで、トレーニングの重要性に気づいたんですよね。また貝塚シニアの2年生の時にトレーナーがつくことになって、中学2年生の時はジムに通って、体を鍛えていました」

 貝塚シニアでは通算30本塁打を放った植田。身長は現在と同じ165センチで、当時から長打力はずば抜けていた。盛岡大附に進んだのは関口監督にかけられた言葉がきっかけだ。

「男の修行としてついてこいという言葉に惹かれたんですよね」

低めと変化球の見極めを大事に、高校でも長打力開花

植田 拓(盛岡大附)

 こうして盛岡大附の門を叩くことになった植田。1年春から力量はずば抜けており、植田と同学年で、プロ志望届けを提出して、指名を待つこととなった比嘉 賢伸はこういう。「当時から力量はずば抜けていました。こんなのが同学年でいるんだと驚きを隠せませんでした」

 しかしすぐに活躍できたわけではなかった。高校生の投手のレベルの高さに苦しみ、1年夏は甲子園を逃す。

「何が違うといえば、変化球のレベルの高さですね。入学から夏まで、変化球に対応ができなかった」
その反省から、植田は普段の打撃練習から見極めをテーマにした。

「打てるボールをしっかりと打つ。速球、変化球もむやみにボール球に手を出さない。そして右手の押し込みを大事に、普段の練習を積み重ねていきました」

 この取り組みは功を奏した。1年秋は、充実としたパフォーマンスを見せた植田は、1年冬は真剣にウエイトトレーニングに励み、パワーアップ。2年夏、主軸打者として活躍を見せて、自身初の甲子園出場を果たす。そして2回戦の創志学園戦髙田 萌生から本塁打を放つ。「打ったのはスライダー。配球パターンをしっかりと練っていたので、狙い通りに打つことができました」と笑顔を見せた。甲子園の経験は植田にとって大きなものとなった。

 甲子園に戻ってから、植田の安定感はさすがだった。打率.521、4本塁打、15打点と高い打撃成績を残す。甲子園の経験が大きかったと植田は振り返る。
「甲子園から良い投手を打たせてもらって余裕が出てきたことが大きかったですね。自分の間合いで打つことができましたと思います」。東北大会準優勝を決め、選抜へ前進した盛岡大附。オフに入り、植田はウエイトトレーニングから、スクワットなどメニューを増やした。