目次

[1]秀岳館に進んだ理由は枚方ボーイズの選手たちの雰囲気に圧倒されたこと
[2]甲子園で掴んだ自信
[3]全国制覇するために細かい部分が大事になってくる

 秀岳館には全国クラスの実力を持つ左腕が2人いる。センバツでは背番号10だった川端 健斗(3年)が「ちぎっては投げる力投派」なら、エース番号を背負った田浦 文丸(3年)は「ゲームをしっかり作れる投手」というのが鍛治舎巧監督の評価だ。中でも田浦は投手としてはもちろん、打者としても非凡の才がある。夏は投打二刀流の活躍が期待される田浦に夏への意気込みなどを聞いた。

秀岳館に進んだ理由は枚方ボーイズの選手たちの雰囲気に圧倒されたこと

田浦 文丸(秀岳館)

――出身は福岡。熊本の学校を選んだ理由は?

田浦 文丸選手(以下、田浦):中学2年の時、ジャイアンツカップの決勝で枚方ボーイズと対戦したのがきっかけでした。対戦した他のどのチームにもないオーラがありました。身体つきに力強さがあって、ホテルも同じだったのですが、ホテルにいるときから同じ中学生とは思えない独特の雰囲気がありました。実際に対戦し、打席に立ってみて1つ上の堀江(航平)さんが投げたスライダーなのか、チェンジアップなのか、変化球のキレがすごかったのを覚えています。そのチームを率いていた鍛治舎監督が秀岳館の監督になり、堀江さんや九鬼(隆平)さんたちが枚方から行くという話を聞いていたのが興味を持ったのがきっかけでした。

 福岡だと確実に甲子園に出られる学校がなかったので、地元の学校に行くことは最初から考えていませんでした。秀岳館か、もう一つ別の遠いところにある強豪校に行こうか、迷っていましたが、小学校の時の監督さんと食事をしていて「遠いところに行って甲子園に出るのもいいけど、親が応援に来られるところで甲子園を目指すのも親孝行だぞ」と言われて秀岳館を選びました。

――実際に入ってみて、中学時代「すごい」と思った人たちと野球をしてみてどうでしたか?

田浦 文丸選手(以下、田浦):先輩たちは厳しいのかなと思っていましたがそんなこともなくて、思っていたような上下関係はなかったです。お互いに気づいたところは注意し合うような雰囲気が先輩や、同級生にもあって、自分たちで自主性を持ってやっていました。厳しい上下関係のある中でやるよりも、ある程度自由にやりつつ、締めるべきところは締めるチームの方が自分には合っていました。

――秀岳館でのこの2年あまりで、投手として成長したのはどういう部分ですか?

田浦:もともとは直球とスライダーだけの投手でしたが、今はチェンジアップ、横のスライダー、カットボールと球種も増えました。球速は133〜135キロぐらいだったのが、今では最速144キロまで投げられるようになりました。

 毎日の練習で球速を計っているうちに、速いボールを投げるためにはどうすればいいか、意識しながらやっていたのが良かったです。力を入れて投げるよりも力を抜いて、そのかわりリリースの所だけをしっかり意識して投げると球速が伸びることが分かりました。

 身体の土台を作るために、上半身、下半身の筋力をつけることもトレーニングしました。フィジカルチェックでは特に太ももの裏の筋力がついたことがはっきり分かります。リリースに関しては重りを握って、落として、つかむのを繰り返すトレーニングを取り入れています。これは昨年の国体で履正社の寺島(成輝・東京ヤクルト)さんから教わった方法です。