目次

[1]転機となった打撃投手の経験
[2]自分の欠点をどう修正したのか
[3]打倒・作新学院の思いはずっと持ち続けている


 最速149キロのストレートを持ち、関東ナンバーワンとの呼び声も高い石川 翔投手(青藍泰斗)。度重なる故障に苛まれながらも成長を続けてきた豪腕が、いよいよ最後の夏へ向かう。

転機となった打撃投手の経験

石川 翔(青藍泰斗)

 中学時代のチームメートに誘われたのをきっかけに、専用グラウンドを持ち、寮も備えている環境の良さに惹かれて青藍泰斗の門をくぐった石川投手。中学時代には既に137キロのストレートを投げており、もちろん投手を志望して入部したのだが、最初に下されたのは「ピッチャー失格」の烙印だった。
「コントロールが悪くてストライクが全然、入りませんでした。それで、すぐに外野へコンバートされたんです」

 さらに10月には元々、状態が良くなかった左ヒザを手術。翌年2月に復帰したもののすぐに肩を痛め、練習を再開できたのは4月になってからだった。しかし、ここで転機が訪れる。宇賀神 修監督からバッティングピッチャーをするように指示されたのだ。
「『ピッチャーをやりたいんだったら、バッティングピッチャーをやってみろ』と言われました。先輩が相手だったので、『なんとか打てるボールを投げよう』と頑張ったら、自分で思っていた以上にストライクが入ったんです」

 すると、Bチームの練習試合に登板する機会が与えられ、ここでも好投。外野手との兼任ではあるが、晴れて投手としてプレーする希望が叶うこととなった。
「いつかは投手に戻したいと考えていた」という宇賀神監督は「石川は身体能力が高くてバネがある選手。強肩で俊足ですし、パンチ力も十分。そして、背筋力が強いのであれだけのストレートが投げられるのだと思います」と、そのポテンシャルの高さに惚れ込んでおり、40年にわたる監督人生のなかでも「これまでで一番の素材」と言い切っている。

 そして、2年春の栃木大会では2試合に先発した石川投手。2回戦の高根沢戦で7回無失点の完封勝利を挙げるなど結果を残し、チームの準優勝に貢献。関東大会でも初戦の前橋育英戦(試合記事)の先発を任され最速146キロも記録したが、ホームランを浴び、暴投で失点を重ねるなど3点目を奪われた3回途中で無念の降板。
「一人ひとりの打者の対応力がすごくて、スイングも違うなと感じました。ただ、あの試合で全国のレベルを知ることができて、良い経験になったと思います」

 また、当時はフォームにも課題があった。
「グローブを持っている左手に余計な力が入ってしまい、体が開いてしまうクセがありました」

 このクセを治すのには時間がかかった。そのため昨夏はマウンドに上がる機会にさほど恵まれず、新チームになってからも練習試合で結果を残すことができないまま秋季大会に突入。準々決勝の宇都宮戦では142キロをマークし11三振を奪ったが、「ぶっつけ本番のような感じだった」と振り返る。

 続く準決勝では作新学院と対戦。
「低めに投げることを意識して、序盤は真っ直ぐで押しました」と、4回までは無失点に抑えていたが、5回裏、「体が開く悪いクセが出てしまい、ボールがシュート回転して甘くなってしまった」と、この回に2失点。結局、そのまま0対2で破れ、センバツへの道はここで閉ざされた。