千葉市リトルシニア、仙台育英高、そして慶應義塾大。これまで全てバッテリーを組んだエースがNPBに進んだという捕手がいる。郡司 裕也。2015年は侍ジャパンU-18代表としてWBSC U-18野球ワールドカップ準優勝に貢献すると、2016年も慶應義塾大で1年生にして正捕手の座を獲得。11月には侍ジャパン大学代表候補合宿にも招集された新進気鋭の女房役である。
では、なぜ郡司は好投手たちの女房役になり続けることができるのか?前編では、彼の捕手像を形作った仙台育英高3年夏までを振り返る。
憧れの「KEIO」、藤平 尚真との出会い、そして仙台育英へ

郡司 裕也選手(慶應義塾大学)
紺に横文字の「KEIO」。郡司 裕也の野球人生は慶應義塾への憧れと共にある。その出会いは千葉県市原市立水の江小時代・ちはら台ファイターズでプレーしていた頃であった。7歳上の兄・拓也さんは慶應義塾(神奈川)高出身。2008年春夏連続甲子園出場を果たした際にはベンチ入りこそ逃したが、慶應義塾大では準硬式野球部で活躍。また、高校同級の硬式野球部・山崎 錬(現・JX-ENEOS)とも親交があった兄。よって裕也も甲子園や神宮の杜で何度も「陸の王者慶應」のフレーズを耳に焼き付け、そして口ずさんだ。
そんな輝ける場所に到達するべく、郡司は研鑽を続ける。2009年にはプロ野球12球団ジュニアトーナメントにおいて千葉ロッテマリーンズジュニアに選ばれると、千葉県市原市ちはら台南中では千葉市リトルシニアでプレー。当時バッテリーを組んでいたのが1学年下の東北楽天ゴールデンイーグルス1位指名を受けた藤平 尚真(横浜<神奈川>3年)である。
「制球力が甘くガタッと崩れることもありましたけど、当時から凄いボールを投げる投手でした」
配球で藤平の持ち味を最大限引き出すリードに努めた郡司。その結果は3年春、第18回リトルシニア全国選抜野球大会で成就した。
野球で結果を残した後は勉学。郡司は慶應に合格するべく猛勉強に取り組む、が、二次試験で不合格。「いけると手ごたえはあったんですけどね」ショックは大きかった。ただ、そんな郡司の真摯な姿勢は、ある人の心を動かす。その人物とは……誰あろう当時の慶應義塾高監督・上田 誠氏。上田氏はネットワークを駆使し、郡司に合った強豪校をいくつか薦めてくれた。その1つが仙台育英(宮城)。かくして2013年春、郡司は宮城の地へと向かう。
練習に参加した郡司は、すぐに確信した。
「仙台育英は自主性を尊重していて、練習の雰囲気もとても自由。慶應義塾と似ていたんです」
こうして郡司 裕也の「Enjoy BASEBALL」は東北で新たな局面を迎えることとなる。