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- 田中 正義投手(創価高-創価大)「高校時代の後悔がストイックな自分にさせた」【前編】
第486回 田中 正義投手(創価高-創価大)「高校時代の後悔がストイックな自分にさせた」【前編】2017年01月03日

【目次】
[1]肩を痛めて投げやりになった時期もあった
[2]すべての行動に意味を持たせた
昨年10月20日、ドラフト会議にて5球団の競合の末、福岡ソフトバンクホークスが交渉権を獲得し、晴れて福岡ソフトバンクの一員となった田中 正義(創価大)。最速156キロのストレートと、140キロ近いフォークのコンビネーションで勝負するパワーピッチャーである田中は、リーグ戦通算20勝1敗と圧倒的な成績を残し、全国大会は大学選手権、明治神宮大会に1度ずつ出場。さらに第27回 ハーレムベースボールウィークにも出場しており、全国大会、国際大会の経験も豊富である。そんな田中に対し、周囲は新人王候補として期待している。
その田中の成長の要因となったのは、練習、食事、行動とすべて意味を持って取り組む計画性とストイックさである。今ではダルビッシュ 有投手(テキサス・レンジャーズ)など一流選手と一緒に自主トレを行い、プロへ向けて準備する田中。その田中の姿勢の原点は高校時代にあった。
肩を痛めて投げやりになった時期もあった

田中 正義投手(創価大学)
「僕は日本一、そして世界一の投手になりたい思いでプレーしています。そのためにどうすればいいのかを考え、すべての行動に意味を見出して取り組んでいます。ただ高校時代はどうだったかといえばそんなことはなく、本当にガキだったと思います」
川崎中央シニアを経て創価高に入学した田中は4月からのオープン戦で好投を続け、1年夏にして背番号1を獲得する。
「背番号1をもらえると思っていなかったので」と驚きながらも、勝ちたいという思いで夏の大会に臨んだ。しかし5回戦の工学院大附戦で6回無失点のデビューを果たしたものの、先発した準々決勝の早稲田実業戦では1回表にいきなり4点を取られるなど、2.1回で降板。チームはコールド負けを喫した。
「自分のせいで3年生たちの夏を終わらせてしまって、本当に申し訳ない気持ちでした」
更なるレベルアップを誓って秋の大会に臨んだが、なかなか思うようなストレートを投げられずにいた。そして1年冬に肩を痛めてしまい、野手へ転向。それからは、投手として復帰したいという思いを抱えながらも、野手として甲子園を目指す日々を送った。だがなかなか打撃面で結果が出ない。そんな中、2年秋に人生初となる主将に就任した。
「どうやってチームを引っ張っていけばいいか悩んでいました」
それでも田中は4番センターとしてチームを支え、肩の状態も少し良くなり、投手としてもスタンバイしていた。最後の夏では4回戦の実践学園戦で本塁打。さらに2試合に登板と投打でチームをけん引した。
投手としてはあまり準備をしていない中、高校3年時の球速は140キロ中盤。ポテンシャルは当時から非凡なものがあった。田中は投手として復帰したいと思っていたが、公式戦で登板したのは最後の夏の大会のみ。肩の怪我が長引いたのではなく、しっかりとリハビリしていなかったことを後悔していた。
「自分の考えがガキだと思ったのはそういうことで、肩を痛めて投げやりになっていた時期もありましたし、ああ肩は治らないんだな、無理だなと思ったこともあります。それでどうでもいやと思って、肩のリハビリをやらなくなった時期もありました。結局、治りきらないまま、3年夏まできてしまったんです。3年夏に投げた試合もありましたけど、完治ではなかったですね」
もししっかりとリハビリをして早く完全復帰ができていたら、田中の高校野球人生はもっと変わったものになっていたかもしれない。田中はこのままではいけないと、夏が終わった後、気持ちを入れ替えて、投手として大成するために行動を改めることを決意した。二度と同じ後悔をしないために。