今春、東京六大学の名門・法政大に、高校時代から注目を集めていた逸材たちが入学した。静岡高出身の安本 竜二選手もその1人。2年秋の東海大会で3本塁打を放ち、強烈な印象を残したのは記憶に新しい。甲子園には春夏合わせて3度出場し、3年春のセンバツではベスト8に進出。
レギュラー獲りを目指し、オフも黙々とトレーニングに励む安本選手に、高校時代を振り返ってもらうとともに、法政大でのエピソードなどを語っていただきました。
■高校最後の春を迎えた安本選手のインタビューはこちらから
「自分の目標へ勝負の選抜!」
「名門」の洗礼に猛練習で立ち向かった高校時代

安本 竜二選手(法政大学)
90年以上の歴史を誇り、人気、実力ともに大学野球の最高峰に位置する東京六大学。その中にあって法政大は、リーグをけん引する存在であり続けている。通算リーグ優勝回数は1位・早稲田大の45に次ぐ44。「怪物」とうたわれた江川 卓氏(作新学院出身。元巨人)や、「ミスター赤ヘル」こと山本 浩二氏(廿日市高出身。元広島)ら、球史に名を残す選手も多数輩出している。
全国から逸材が集まる名門中の名門。安本は入部早々、その洗礼を浴びたという。
「先輩方とはプレーの質はもちろん、体力的にも大きな差がある、と痛感させられました。高校野球を引退してから自分なりに準備してきたつもりでしたが、取り組みが甘かったようです。木製バットにも対応できなかったですし…法政大は描いていた以上のレベルでした」
実は安本は、静岡高でも、同じような経験をしている。地元では「しずこう」の愛称で親しまれている静岡高も名門だ。甲子園出場回数は春夏合わせて39回を数える。これは静岡県最多で、1926年夏には優勝を、1960年夏、1973年夏には準優勝を果たした。また今年の北海道日本ハムの日本一に貢献した増井 浩俊投手(駒澤大-東芝<関連記事>)など、何人もの選手をプロに送っている。
安本は安倍川中2年の時に三塁手で県準優勝。その実績を引っ提げて静岡高の門を叩いたが、「入ってみるとレベルの高い選手ばかり。同期も硬式チーム出身者が多く、軟式だった僕と違って硬式の扱いにも慣れていて、差を感じました」
どうすれば差が縮まり、県内選りすぐりの選手の中でレギュラーになれるのか?そのためにはやはり、人一倍練習するしかなかった。
「こういう選手になろう、というのはなく、日々ガムシャラに練習に取り組みました。いま思うとムダなこともしていた気もしますが、とにかく数をこなさないと、と。少しでも多く練習しなければ立場は変わらない、と思っていました」
猛練習を支えたのが、野球を始めてから大きなケガとは無縁の強い身体だった。
「僕は当時も今も、体の柔らかさやしなやかさに欠けるのが短所。ですがその分、子供の頃から身体が強く、人よりもパワーがあるのが長所だと思っています。たくさん練習できたのも、身体が頑丈だったからかもしれません」