こんな調整法には9年間、リリーフエースとして培われてきた経験が随所に散りばめられているが、宮西はあくまでその土台となる基礎練習の重要性を強調する。「自分の原点は高校時代。あれがあるからこそ、今の自分がある」と、市立尼崎高での徹底した走り込みを今でも忘れてはいなかった。
「ホントによく走りました。走ることしかしてなかったと言ってもいいぐらい。練習が始まってから終わるまで、延々と走っていました。ピッチングが休憩みたいなものでしたから」と当時を振り返った。練習ではまず30分間走り込み、その後はポール間のインターバル走を20本。続いて30~50メートルのショートダッシュを10本こなし、さらにはシャトルランを加えることもある。
「ショートダッシュまでのメニューは、基本的に開幕まで毎日やりますね」と12月中旬からの約1か月間は、毎年母校に戻って自主トレを続けているのも、自分の原点を忘れないためだ。その背中を見てきた後輩たちは今夏、33年ぶりの甲子園に出場した。
手術明けの1年で球速も出なかったけど、その分引き出しが増えた

宮西 尚生投手(北海道日本ハムファイターズ)
「リリーフは先発と違って、シーズン中は走り込めないんですよ。だからこそオフに走り込む。年齢的にもそろそろメニューの強度を考えないといけない時期かなとも思いますけど、やっぱり追い込んでしまいますね」と、オフは恩師・竹本 修監督(52)の視線を感じながら走り込むことで、宮西の一年は始まる。
そんな愚直な姿を、普段は辛口の日本ハム・中垣 征一郎トレーニングコーチ(46)も評価している。
「ずっと同じことをやっている中で、少しずつテーマを変えてトレーニングしている。彼は天才的にそれがうまい。自分の中にしっかりと確立したものを持っている選手」と毎シーズン、高いレベルでコンスタントに成績を残し続けている理由を説明してくれた。
今オフもすでに黙々と走り込みを始めている鉄腕は、来季節目となる10年目を迎える。
「今年は手術明けの1年目ということもあって、オフには腕周りのトレーニングが全然できなった。その結果、シーズン中は球速も130キロそこそこしか出なかったけど、丁寧に外の出し入れをしてきた分、引き出しが増えました」
転んでもタダでは起き上がらない。そんなプロ中のプロが、高校球児に呼びかけた。
「自分は高校時代、球もすごく遅かったし、コントロールも悪かった。それでもあきらめずにやり続ければ、プロで活躍できるところまで来られた。強豪校じゃなくても、エースじゃなくても、たとえメンバー外でもあきらめないでほしい。うちのチームにはソフトボールからプロ入りした選手もいる。野球をやっている限り、プロになれる可能性は必ずある」と、熱烈なエールを送ってくれた。
(インタビュー・文/京田 剛)
注目記事
・【12月特集】ランドリル2016