こうして大学1年秋が終わって野手に転向した森山 恵佑選手。後編では大学球界を代表するスラッガーになるまでの過程を紹介していきます。
しっかり振れ、中途半端なスイングはするな

森山 恵佑選手(専修大学)
森山の打者転向とほぼ時を同じにして、専修大の新しい指揮官になったのが、齋藤 正直監督だった(2014年2月就任)。秋田高出身の齋藤監督は専修大時代、1年春から四番を務め、ベストナインを2度受賞。左の強打者として、ドラフト前は10球団から打診を受けるも、社会人・川崎製鉄千葉(現JFE東日本)へ。ここでも活躍し、現役12年間で都市対抗には9度出場している。94年11月からは監督になり、在任4年間で都市対抗準優勝1回、4強2回。日本選手権での4強が1度ある。
「齋藤監督は選手としても指導者としても経験豊富で、打撃に関してもいろいろな知識を持っています。そういう方と、打者に転向したタイミングで出会えたのは大きかったですね。それこそ打撃のイロハから教えてもらいました。齋藤監督のおかげで、調子が悪い時の対処の方法など、どんどん僕の引き出しが増えてもいきました。とはいえ、齋藤監督の指導は一方通行ではないんです。
『言われたことだけをやるな。理解してからやれ。自分で考えてみて違うと思ったら、自分に合っているところだけを取り入れろ』と。齋藤監督からは『上を目指したいなら、ちょっと打ったくらいで満足するな』ということや、『小さくなるな。しっかり振れ。中途半端なスイングはするな』ということもよく言われました。これは他の選手に対してもそうですね。
『打の専修』とも言われますが、それは“齋藤監督の指導”という裏付けがあってのものだと思います。試合ではノビノビと打たせてくれましたね。3年生になって以降は、サインは出ていません。東都は勝てないと入れ替え戦が待っていることもあり、どの学校も細かい野球をしてくるんですが、チーム打撃を求められることもありませんでした。2年生の時に送りバントを3回しただけですね。もし齋藤監督でなければ、僕はドラフト指名されていたかどうか…」
力みがスイングの弊害になっていたと気付く
野手に転向した森山は2年春より6番ライトでリーグ戦に出場し、そのシーズン、二部ながらいきなり打率.297をマークする。するとその秋は、リーグ2位の打率(.341)を残し、二部優勝に貢献。専修大は入れ替え戦にも勝ち、4季ぶりの一部復帰を決めた。
「木製バットにはわりとスムーズに、はじめから対応できました。でも、とらえたと思ったら、スライスがかかって失速したりと、なかなか飛距離が出ませんで…きれいなスピンがかかった打球を打つのには時間がかかりましたね。ですから、たまに打球がいった時は、その時の感覚を忘れないよう心がけました。ノートにもつけていましたね」