- トップ
- インタビュー
- 2016年インタビュー
- 佐々木 千隼(都日野-桜美林)「意識改革でドラフト1位投手へ成長!」
第451回 佐々木 千隼(都日野-桜美林)「意識改革でドラフト1位投手へ成長!」2016年10月29日

【目次】
[1]本格的に投手に転身したのは高校3年春から!
[2]一部に昇格して、まったく通用しなかったことが転機となった
[3]意識改革+元プロ2人の出会いが佐々木を大きく変えた
今秋のドラフトで都立高校出身の選手としては史上初となる1位指名が決まった桜美林大学・佐々木 千隼投手。大学1年まではプロを意識することはなかったと話す彼が、一躍ドラフトの目玉投手へと成長できた理由。それは、意識の向上にあった。都立校のプレイヤーにとっては参考にはなるお話ばかり。ぜひ佐々木投手のストーリーを読んで、今後の取り組みに生かしてほしい。
【こちらも注目!】佐々木投手が球児へアドバイス!
「加藤拓也、山岡泰輔、佐々木千隼のドラフト1位トリオが球児へアドバイス!」
本格的に投手に転身したのは高校3年春から!

佐々木 千隼投手(桜美林大学)
――都立日野高校では3年夏の準々決勝で強豪・日大三を3失点に抑える好投を見せるも惜敗。2年冬には東京選抜の一員に野手として選ばれてアメリカ遠征を経験するなど、当時から注目される存在ではありましたが、すでにプロを意識していたのでしょうか。
佐々木:いえ、いえ、全然です。高校のときは甲子園に行きたい、強豪校に勝ちたいと思ってやっていましたけど、プロなんて少しも考えていませんでした。都立日野高校は練習場所は校庭で、ほかの部と共用ですし、時間も学校がある日は4時前くらいから始まって、全体練習は7時過ぎくらいまで。そこから自主練習をしたりしますけど、遅くても9時くらい。
嶋田 雅之監督は他の高校がやっていることだったり、いろいろな練習を取り入れてくれていましたけど、そこまで自分を追い込んでやっていたという記憶もありません。大学でも野球が続けられたらいいなって。本当にそれくらいでした。
――それでも投打のポテンシャルの高さは多くの人が評価していました。
佐々木:バッティング(高校通算33本)は好きでしたけど、12年秋に参加した東京都選抜は、秋の大会の試合で打ったホームランをたまたま見てもらっただけだと思います。いざ、ほかの選ばれた選手と一緒にやってみたらすごいやつばかりでしたからね。自分はまだまだなって痛感しました。特に今、広島で活躍している鈴木 誠也(二松学舎大附)は投げるのも打つのも別格で、こういうやつがプロに行くんだろうなと思いました。
でも、そういう選手を見て意識が変わった部分はありました。こんな上のレベルの選手がいるんだなって。自分も都立日野では先頭に立ってやるくらいじゃないといけないのかなと。ランニングもあまり速くないんですけど、一生懸命走って1番で帰ってこようとか、少し変われたかもしれません。
――そこを境にピッチャーとしても力をつけていくわけですか。
佐々木:というより、そもそもピッチャーを本格的にやり出したのは3年の春頃からなんです。それまでも練習試合とかでは投げていましたけど、結果を残せていませんでしたし、そこまでピッチャーにこだわりがあったわけでもありませんでしたからね。でも、本格的にピッチャーになったといっても知識も乏しかったですし、何か特別な練習をしたとか、トレーニングをしたというのはありません。
自主練のときにダッシュ系のランニングを繰り返したり、ただがむしゃらに頑張っているだけでした。あとは体重が増えづらかったので練習前や終わった後などに母親が作ってくれたお弁当を食べたりはしていましたけど、それも食トレというほどのものではなくて、食べれば体が大きくなるかなくらいの意識でした。都立日野は上下関係もそんなに厳しくないですし、高校時代は楽しくやっていたという感じでしたね。
ここまでの話を聞くと、全国ならば、どこにでもいるような高校球児で、ここからプロ入りする選手になっていくだろうというイメージはまだ沸いてこない。佐々木が野球選手として、投手としての意識が劇的に変わるのは桜美林大に進学してからになる。
【次のページ】 一部に昇格して、まったく通用しなかったことが転機となった