前編では、高校時代の思い出と大切にしていたグラブの刺繍に込めた思いなどを伺いました。後編では、春日部共栄で得たものやプロ入り後に感じていることなどを語っていただきました。
春日部共栄で得た大きな学び

高校時代の中村 勝投手
気持ちの強さをバランスよく維持することは簡単なことではない。強さが出すぎれば、時として頭に血がのぼり、周りが見えなくなってしまうこともある。逆に強さが鈍れば、相手に付け入る隙を与えてしまう。中村投手は、この非常に難しいメンタルバランスを、高校時代に学んだという。
埼玉県春日部市出身。中学時代から、野球仲間とランニングしながら地元の野球名門校である春日部共栄の練習を見ていた。
「家からも近かったですし野球も強いので、行ってみたいと思っていました」
中学3年時にKボールの県選抜チームに選ばれ全国優勝。日本代表としてアジア大会にも出場した実績もあり、望み通り春日部共栄に進学した。
転機が訪れたのは2年秋。2008年の秋季埼玉県大会準決勝。春日部共栄は花咲徳栄に敗戦を喫した(5対6)。
「あと1回勝てば関東大会出場、という試合で負けてしまったんです。仲間がたくさん点を取ってくれて流れもよかった。でも、僕が打たれて、しかもサヨナラホームランを打たれて…それがすごく申し訳なかったんです」
「大会で負けた試合はすごく覚えている」高校時代だが、その中でも特に印象に残っている試合だ。この敗戦をきっかけに、中村投手はフォームを改造することを決意する。
「それまでは左手を高く上げて投げていたのですが、それだと身体がブレてコントロールが安定しませんでした。そこで冬の間に左手の位置を下げて自分の中でしっくりくる場所を探して」
左手の位置を調整することで、ピッチングが劇的に変わった。結果、冬を越え、最終学年となった2009年春から、プロのスカウトの注目を浴びるほどの活躍を見せるように。ちなみに、前述のウイルソンのグラブを使いだしたのもこの頃だったと記憶している。