目次

[1]「MLB・松坂 大輔投手」との遭遇から「創志学園入学」まで
[2]創志学園で「勝てる投手」への鍛錬励む
[3]剛腕・髙田 萌生のポイントは「人差し指」

 7月22日・岡山大会準々決勝・岡山理大附戦で自己最速を3キロ上回る154キロをマークするなど、1勝をあげたセンバツから、さらなる進化を続ける創志学園(岡山)の絶対的エース・髙田 萌生(たかた・ほうせい)がついに初の夏の甲子園出場を決めた。センバツ時点で178センチ75キロと投手としては決して大きくない身体からなぜ、あのようなスピードボールが投げられるようになったのか?今回「高校野球ドットコム」では独占インタビューで探っていくことにした。

 前編は野球をはじめようと思った「あの投手」との遭遇から、最速151キロに達した剛腕への過程を追う。

「MLB・松坂 大輔投手」との遭遇から「創志学園入学」まで

髙田 萌生投手(創志学園高等学校)

――まずは月並みですが、髙田投手が野球を始めたきっかけは?

髙田 萌生投手(以下、髙田) 岡山県新見市立西方小学校3年の時に当時、ボストン・レッドソックスでプレーしていた松坂 大輔さん(現:福岡ソフトバンクホークス)のピッチングを見て「カッコいい」と思ったことがきっかけです。横浜高校時代の松坂 大輔さん映像はその後に見ました。

――松坂投手のどこに憧れたのですか?

髙田 当時はMLBで活躍している日本人投手が少なかったのに、1年目から成績を残したこと(15勝12敗)がまず、すごいと思いました。横浜高校の映像を見ても存在感やオーラが他の投手と違うものを感じて、野球をやってみようと思ったんです。ただ、地元の新見市立西方小学校にはソフトボールとバスケットボールしかスポーツ少年団がなかったので、まずはソフトボールをすることにしたんです。

――西方スポーツ少年団でのポジションは?また、ソフトボールをしたことで今に活きていることはありますか?

髙田 最初は外野手でした。でも、ソフトボールでもピッチャーをやりたかったので、練習して小学校4年からは投手と外野手になりました。今、地肩が強くなったのはソフトボールの影響が大きいと思います。ソフトボールは軟式のC級より大きくて、少し重い。そこで肩が鍛えられました。

――中学は明徳義塾中(高知)に進学します。その理由は?

髙田 はじめは松坂さんの中学時代(東京・江戸川南リトルシニア出身)のように硬式のクラブチームに行こうと思っていましたので、父親に探して頂いたんです。その過程の中で、父の知人から「明徳義塾中は軟式だけど強豪だし、寮生活で鍛えられる」という話を聞いたんです。「寮生活」というのが魅力的でした。

――それは意外な話ですね。

髙田 プロを目指すのであれば、それくらいした方がいいと思ったので、明徳義塾中に進むことにしたんです。学校見学に行って山の中にある環境も知ったんですが、さほどは気になりませんでした。その時は「自由を奪われる」ということは考えずに(笑)、野球ができればいい、うまくなればいいと思っていたんです。

――入学すると6時半起床。すぐに駆け足でグラウンドに集まり、校歌に国歌、ラジオ体操に最後は行進の朝礼から始まる生活が始まりました。ここで学んだことはありますか?

髙田 人間性を学びました。学校では道徳的な話も多く受け、ゴミを拾うことなども明徳義塾中でしっかり教えて頂きました。野球以外の部分も含めてよかったと思います。

――同時に野球の技術面でも様々な学びがあったと思います。

髙田 入学当時は宮岡 清治監督で3年春に神谷 洋隆コーチが監督になったんですが、野球自体本格的にするのがはじめてだった僕に対して、基本的なことを教えてもらいました。逆に投手の技術的なことはあまり言われませんでした。

⇒次のページ:創志学園で「勝てる投手」への鍛錬励む