目次

[1]まずは上級生との勝負に勝つことがスタートだった
[2]前チームよりも厳しい雰囲気にしなければ全国制覇はできない

 まさにファイターだ。2015年選抜優勝敦賀気比の主将を務めただけではなく、さらにU-18でも主将に抜擢され個性の強い選手をまとめ上げ、準優勝に貢献したザ・キャプテン、篠原 涼。そんな篠原選手に自身の高校時代を振り返っていただくとともに、有益な高校野球生活を送るためのアドバイスをいただきました。

まずは上級生との勝負に勝つことがスタートだった

篠原 涼選手(筑波大学)

 インタビューを通して感じたことは、志が非常に高く、高いところに意識が向いている選手だということだ。
静岡県の富士宮シニアに在籍していた篠原がなぜ敦賀気比に進んだのか。

 それは当時所属していた富士宮シニアのコーチと敦賀気比の関係者が知り合いで、敦賀気比に「行ってみないか」という誘いがあった。

 最初は行くつもりではなかった篠原だったが、「甲子園に近いとなれば、やっぱり敦賀気比なんだなと思って進学を決意しました」

 そして敦賀気比に入学した篠原だが、ここで苦労したことは、1年生にありがちな雑用についてではない。

 敦賀気比は、グラウンド整備などといった仕事は3学年一緒にやるのがルールなのでそういう苦労はなかった。

 試合に出場するためにチームメイトとの競争に勝つことに一番苦労したという。篠原は競争相手を同級生ではなく、上級生に目を向けていた。
「3年生は選抜ベスト4入り(2013年)した先輩でしたから、レベルが高かったです。2年生も人数が多くて、レベルが高かったですし、先輩たちに勝たないとベンチ入りはできないと思っていました」

 どうしても同級生との競争に目を向けがちだが、篠原はこのとき既に上級生との勝負に勝つことを考えていたのである。敦賀気比は寮生活。学校、グラウンド、寮を往復する生活に、ホームシックになる選手も多く、以前野球部を訪問した際にも、選手たちがそのつらさを語っていた。篠原もそうだったのかと聞くと、「自分はそれは全くなかったですね」と否定した。その理由を伺ってみると、
「僕は甲子園に出るために地元を出ているのですから、その目標を達成するまで地元に帰りたくないと思っていました。帰ろうと思ったら、甲子園に出場できるまでですね。いわゆる凱旋ですよ(笑) 。それで堂々と地元に戻ってやろうと思っていました」

 寂しさから地元に帰りたいではなく、自分の目標を達成してから、堂々と戻ろうと考えていたのだ。その志を持ち続けるのは簡単なことではない。だが篠原はその思いを貫き通せる意志の強さがあった。目標とするレギュラー入りへ、篠原は出られるポジションならばどこでも挑戦した。中学時代、篠原は遊撃手だったが、試合に出場するために一塁、二塁、三塁も守った。そして篠原が最も強化したのは打撃。
「やっぱり打てないと目立てませんから、僕は自主練習では打撃練習が殆どでしたね。ティーバッティングが基本で、数多く打ち続けた記憶があります」

 レギュラー入りするために来る日も来る日も打ち続けた。そして1年秋に一塁手としてベンチ入り。2年春にレギュラーを獲得し、2年夏、悲願の甲子園出場を果たす。篠原が目標としていた甲子園出場を果たしたのであった。甲子園に出るまで地元に戻るつもりはない。まさに有言実行を果たしたのであった。

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