目次

[1]1年生の怪腕は勝負度胸抜群
[2]歴史を作るために選んだ滋賀学園
[3]冬を越え選抜のマウンドに上がる

歴史を作るために選んだ滋賀学園

右で投げる神村 月光選手(滋賀学園高等学校)

 中学時代から評判の投手の元には当然いくつもの高校から誘いがあり、その中には甲子園常連校も含まれていた。滋賀学園野球部は1999年創部とまだ新しく、甲子園出場は2009年夏の1度だけ。その時も初戦で姿を消しており、当時小学生だった神村にインパクトを与えるような成績は残せていない。しかし神村が選んだのは滋賀学園だった。

「甲子園常連の高校に行っても甲子園に出られて当たり前なので、県ベスト4とか県ベスト8の高校に行って、自分達で力を上げて甲子園に行った方が、達成感もあってやりがいのある3年間になるのかなぁと思いました」

 関西に向う飛行機に乗る前、空港には中学時代の友達やチームメイトが見送りに駆け付け、健大高崎に進むチームメイトとは甲子園での再会を誓い合い、腹をくくった。それでも「高校野球は中学野球とは雰囲気も違いますし、練習量も違いますしそれに追いつけるか心配でした」というのが本音。そのランニング量について現在4番を打つ馬越 大地(2年)は、入学時の体重は100キロあったが、グラウンド前の坂道ダッシュなどの走り込みで体重が85キロにまで減ったほど。

 親元を離れた寮生活に厳しい練習。滋賀学園には先輩に3人、同級生に4人同じ県出身の選手がいたが、ホームシックになることもあった。帰省出来るのは年末年始だけ。そんな時に励ましてくれたのがチームメイトだ。
「仲間たちが励ましてくれてここでやっていけると確信しました」

本格派右腕は実は左利き。チームに好影響を与える1年生バッテリー

 右投げの神村だが実は左利き。打撃では左のバッターボックスに立つ。左投げだとポジションが限られるため、小学生の頃に自分の意志で右投げに変えた。小学生の頃は全ポジションの経験があり中学時代も最初は捕手。今でも右で投げづらさを感じた時は左で投げて感覚を取り戻すこともあるという。

 左投げのフォームも綺麗で、塁間程度の距離なら勢いのある球を投げられる。利き腕でない右手ながら球種は通常のカーブ、速いカーブ、スライダーが縦横で2種類、チェンジアップを操り、さらに使うことは多くないが相手によってはスプリットやシュートも選択肢としてある。豊富な球種は器用さの証だが、やはり最大の武器はストレート。

 夏から背番号2を背負った後藤 克基(1年)は初めて神村の球を受けた時、そのスピードに驚きを隠せなかった。後藤は神戸中央シニア出身で、エースは大阪桐蔭香川 麗爾(1年)が務めていた。高校でも1年生ながら先発機会をつかむほどの投手の球を受けていたが、当時の香川はサイドスロー。「上からの速い球は全然違う」とその威力に舌を巻いた。

 後藤が同学年にこんないいピッチャーがいるのか、と刺激を受けたように神村もこんないいキャッチャーがいるのかと刺激を受けたはず。そしてチームをまとめる今谷が「バッテリーが1年生なのでいかにノビノビプレー出来るか。2年生が頑張っていかないといけない」と話すように2人の相乗効果はチーム全体に好影響を与えている。

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