目次

[1]蒲郡高時代から始まった「大変身」
[2]プロ入り直後の危機感が基礎トレーニングの道へ / 2年目の悔しさを糧に2度目の大変身
[3]3度目の大変身で目指す「球界を代表する豪腕投手」

「2015SMBC日興証券 クライマックスシリーズ パ」ではレギュラーシーズン3位から勝ち上がった千葉ロッテマリーンズを3連勝で(アドバンテージ1勝)で下すと、続く「SMBC日本シリーズ2015」でも東京ヤクルトスワローズを4勝1敗で下し、2年連続の日本一を達成した福岡ソフトバンクホークス。
その過程で最も輝いた右腕が千賀 滉大投手である。

 2010年、育成ドラフト4位指名から這い上がり、2012年に支配下登録。現在は最速156キロまで成長した千賀。その秘訣はどこにあるのか?
今回は来季3連覇の鍵を握る豪腕が語った蒲郡高(愛知)時代から、これまでに遂げた2度の「大変身」ヒストリーと、3度目の大変身への青写真を追っていきたい。

蒲郡高時代から始まった「大変身」

高校時代(蒲郡)の千賀 滉大投手

 プロで10キロ以上もスピードアップし、大変身を遂げた千賀だが、そのルーツは愛知県立蒲郡(がまごおり)高時代にある。
蒲郡市立中部中時代には、投手を志すも成長痛の影響でプレーがほとんど出来なかった千賀だが、中学の3年間を経て身長は大きく伸び、中学入学時に150センチ前半だった身長は、高校入学時には176センチとなる。

 そして高校入学後、成長痛が癒えたことを確認するように千賀は再び投げ始めた。
「当時の監督が見ていて、何を評価してくれたかはわからないですけど『じゃあ投手始めてみろ』と言われたんです」

 最速120キロ・体重60キロ弱。これが千賀投手のスタートライン。
だからこそ彼は課題を克服するための努力を絶やさなかった。
「とにかく身体は太くしなければならないと思いましたね。高校の時から体が変わらないとパフォーマンスも変わらないと思っていましたから。量は具体的には覚えていないのですが、とにかく食べました」

 そんな千賀が食べることと同じくらい取り組んでいたのが走ること。長距離、中間走、ポール間ダッシュを来る日も来る日も繰り返した。約1年半後、サイズは183センチ76キロへ。球速も約20キロ速くなり、最速144キロを計測するまでとなった。最後の夏は3回戦で岡崎商に敗れたが、高い将来性を評価され福岡ソフトバンクホークスに育成4位で指名された。かくして千賀 滉大、第1の「大変身」は夢のプロ入りをもたらした。

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