関東第一高等学校 オコエ瑠偉選手【後編】 「伝説を生んだ聖地を巣立ち、伝説の選手へ」
前編ではオコエ選手の入学当時のエピソード、3年夏の東東京大会まで振り返った。後編では今だから話せる甲子園でのプレー、U-18ワールドカップでのエピソード、さらにプロ志望届を提出した現在の決意、そして未来への展望も記していく。
フォア・ザ・チームと「こだわり」が「伝説」を生む
関東第一高等学校 オコエ 瑠偉(第97回全国高等学校野球選手権大会2回戦 高岡商戦)
迎えた2015年8月11日。大観衆の前に姿を現したオコエはまず足で甲子園のファンを驚愕させる。2回戦・高岡商戦(試合レポート)での甲子園初打席。一塁手への強烈な打球を放ち、ファウルゾーンにボールが転がると見るや、オコエは一気に二塁へ走る。誰しも単打だと思っていた当たりが「一塁強襲安打」。オコエの俊足ぶりを測ろうとストップウォッチを片手に持っていたNPBのスカウトたちは、一塁に到達した時点で止めていたストップウォッチを握ったまま口を半開きにし、聖地からはどよめきが起こった。
さらに3回の第2打席は抜けた瞬間「オコエの脚なら間違いない」と確信させる三塁打。打者一巡で再び回ってきた第3打席目にも三塁打を放ち、史上2人目となる1イニング2三塁打を達成。これは1966年に桐生(群馬)・須長 秀行選手が北陽(大阪・現:関大北陽)戦でマークして以来、49年ぶり2人目の快挙だった。
オコエ自身はこの高岡商戦について、「関東一高ではそれが伝統の武器だと自分たちで思っていたので、そういった走塁をして当たり前です」とサラリと言うが、走力をウリにするチームの中で、「フォア・ザ・チーム」がいっそう求められるリードオフマンとしての役割を彼が心中に秘めていなければ、できない芸当だ。
結果、その想いは長く高校野球史に語り継がれる伝説となった。3回戦・中京大中京戦(試合レポート)の1回表二死満塁、6番佐藤 勇基(2年)が放った打球はセンターへの大飛球。この打球を見た瞬間、関東一の米澤監督は負けを覚悟したという。
「抜けると思った当たりでした。エースの上野 翔太郎君(3年)のこれまでの2試合の投球を見て、優勝できる実力をもった投手だと感じました。選手たちには『0点になるかもしれないよ』と伝えていたので、先制点を取らせないことが一つのキーポイントだったんですが・・・」
と、監督さえも負けを覚悟した中、諦めていない男が1人いた。それが中堅手のオコエだった。「最初は抜けるかなと思っていたんですけど、打球を追っていく中で、これは捕れると思って」俊足を飛ばし、背走しながら伸ばしたグラブの先にボールは吸い込まれた。このプレーがなければ、9回サヨナラアーチでのベスト8進出は到底考えられなかった。
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オコエの潜在能力を引き出した「高意識」
関東第一高等学校 オコエ 瑠偉選手(第27回 WBSC U-18ベースボールワールドカップ スーパーラウンド カナダ戦より)
そして準々決勝の興南戦(試合レポート)9回表・変則左腕の比屋根 雅也(2年)から決勝2ランを放ったオコエ。この本塁打も、この試合これまで4打席2三振に終わっていた結果を踏まえた準備が成しえた一発だった。
「あの内角直球は狙っていたボールではありました。苦手なコースですけど、あのコースばかり投げてきたのでそれを打つしかなかった。あれは技術どうこうではないですね。とにかく気持ちで思い切って振り抜いた結果があのホームランでした」(オコエ)。
そのベースにはチームとして共有して出来た「意識の高さ」がある。昨年冬から関東一の主力メンバーは、22時から寮で1~2時間のミーティングを重ねてきた。内容は戦略面や試合の振り返りなど多岐にわたり、「強くなるためには」を追及し続けた。そしてその方針は甲子園でも全く変わらなかった。
「甲子園では歓声が大きいので、声が通りません。ポジショニングの指示や指での指示、アイコンタクトでのコミュニケーション。そういうところまで話し合ってきました」
こうミーティングの一端を明かすオコエ 瑠偉。かくして大会後、個人としての技術の探究と、それを引き出す「高意識集団」関東一でつかんだ甲子園ベスト4が認められ、オコエ 瑠偉は「侍ジャパン」U-18日本代表のユニフォームに袖を通すことに。目指すは初の地元日本開催である「第27回WBSC・U-18ベースボールワールドカップ」での世界の頂点である。
「学び」「戦い」世界に通じる選手に
「代表ではとにかく学びたい気持ちでした」と語るオコエ。特に学びたかったのは「打撃」だという。
「僕にとって満足いく打撃内容ではないです。木製バットになれば、僕の実力は0からのスタートになる。だから代表監督の西谷(浩一・大阪桐蔭高監督)さんからいろいろと学ぼうと思いました」
想いを抱いていた彼は最初に指揮官から言われたアドバイスを今も心に留めている。それは
「バットの軌道など細かいことは意識するな。とにかく自分のスイングができるようにしなさい」
このアドバイスに反応できる準備は整っていた。オコエが意識したのは、春に気付いた軸足(右脚)の使い方を見直すということ。打ちに行くときにすぐに倒れ気味だった軸足を、我慢しながらボールを引き付けて打ち返すことを改めて意識しながら、強く、鋭くスイングをしていた平沢 大河(仙台育英3年)や、勝俣 翔貴(東海大菅生3年)の打撃を参考に打撃フォームの感覚をつかみにいった。
すると打撃練習でもライナー性の打球が左中間からセンター方向へ飛ぶようになってきた。筆者の目から見てもそれは明らかだった。3月に関東一グラウンドで取材をした時にも、オコエは木製バットで練習をしていたが、当時は体が突っ込み気味で、詰まった打球がほとんどだった。しかし、代表練習では芯で捉える打球を連発。「これは大会でもやってくれるかも」と思わせるに十分だった。
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オコエ 瑠偉選手(関東第一高等学校)
そして「予感」は「確信」に変わる。迎えた1Stラウンド・ブラジル戦からオコエは4打数2安打で好発進すると、アメリカ戦では140キロを超える速球を投げ込む大型左腕・ギャレットの投球を苦にせずここでも4打数2安打の結果を残した。またこの試合では脚でも魅せた。
5回裏に一塁内野安打からオコエは二盗を成功させ、3番平沢 大河の打席で牽制では二、三塁間に挟まれるも、二塁へ送球しようとした三塁手が暴投。さらにカバーの右翼手がもたつくのを見て、オコエは一気に本塁へ。オコエは捕手のタッチをかいくぐる絶妙なスライディングで3点目をもぎとる好走塁をみせ、アメリカを破る原動力となった。
スーパーラウンドでも快進撃は続く。カナダ戦では中前安打からもたついていた外野手の動きを見逃さず二塁へ到達すると、さらに7回表には四球で出塁したオコエは二盗を仕掛け、走っている間に二遊間がベースカバーに入らないのを認識。「これを見て、普通に三塁へ行けるかなと思いました」と二塁でスライディングせず三塁へ到達。
そして全勝で迎えた決勝戦。1回表に右中間へ抜けそうな打球に見事に追いつく美技を見せて先発の佐藤 世那(仙台育英3年)を盛り立てれば、5回一死の第2打席では中前打。ここでも感性が大いに助けとなった。
アメリカの先発・プラットのチェンジアップに苦しんで第1打席は三振。「チェンジアップが凄くて、初めて見るような軌道で、ヤマを張っても打てないほど」と敵を認めながら、彼は次にブラットが「なぜ、チェンジアップを使うのか」という理由に思考を巡らせた。「タイミングをずらす意味で使っている」。次は合わせる方法論へ。「脚を上げず、すり足でタイミングを取る」。その結果、中前安打を放ったのだ。
結果は1対2で惜しくもアメリカに敗れ、準優勝に終わった侍ジャパンU-18代表。が、その中でオコエは33打数12安打、打率.364、7打点、4盗塁と大活躍。木製バットの対応も「決勝戦でやっとつかんできました」と語るように想像以上の成長を見せた。もちろん守備は文句なし。大会最優秀守備賞に輝き、「Okoye Louis」(オコエ 瑠偉)の名は世界に広まったのである。
「新たな伝説」をNPBの世界で
大会を終えた約1週間後の9月15日、オコエはプロ志望届を提出し、高卒プロを目指すことを決めた。
まだ本気ではなかった入学当時。目の色を変えて取り組んだ1年秋から急激な成長を見せ、ドラフト上位候補にまで上がった現在。そんなオコエはプロではどんな選手になりたいのか?
「目標を高く持ちたいと思うので、今までの日本球界にはなかった選手になりたいです」
我々の想像をはるかに超えるスーパープレーの連続を披露しても、彼は全く満足していない。
そう、それがオコエ 瑠偉。感性の鋭さと常に謙虚に学び続ける姿勢を失わないオコエは大観衆を沸かせるプレーヤーだ。そして新たな伝説を創る男として、NPBの世界でも輝き続ける。
(取材・文/河嶋 宗一)
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