目次

「脱力・効率論」について伺った中村 剛也選手インタビューはこちらから!

[1]大阪桐蔭時代のバッティングと比べて
[2]ストレートにタイミングを合わせて変化球に対応
[3]ホームランの打ち損ないがホームラン!

 7月7日現在、今季78試合で本塁打数25本。さらに、打点も79をマークし、ともにリーグトップの数字だ。過去に5回の本塁打王と、2回の打点王に輝いている埼玉西武ライオンズ・中村剛也選手。大阪桐蔭時代も通算本塁打83本を放って、2002年にプロ入り。今年でプロ14年目を迎えた中村は、チームの不動の4番となり、さらには、日本トップの実力を誇るスラッガーに成長した。
今回は、そんな中村選手のバッティング理論を小関順二氏が深く探っていく。

大阪桐蔭時代のバッティングと比べて

中村 剛也選手(埼玉西武ライオンズ)

 本塁打王5回、打点王2回のタイトル歴がある中村 剛也(西武)は現役プロ野球最高のホームラン打者と言っていい。最もその長打力に注目が集まったのは2011年。この年、反発係数を低く抑えた「統一球」が採用され、プロ野球全体の総本塁打数は前年の1605本から939本に激減した。国際基準に合わせようという掛け声に呼応した結果だが、NPBとMLB(メジャーリーグ機構)の公式球を比べると、MLB公式球の弾みのほうが強かったというマスコミ報道もある(日本の統一球の方が飛ばなかった)。

 セ・リーグの本塁打王はバレンティン(ヤクルト)の31本、パ・リーグの本塁打2位は松田 宣浩(ソフトバンク)2014年インタビューの25本という低空飛行の中、48本塁打をかっ飛ばしてパの本塁打王に輝いた中村の長打力は群を抜いていた。

“記録の神様”の異名を取った宇佐美 徹也氏は『プロ野球データブック』(講談社文庫)の中で、1946(昭和21)年に20本塁打を放って本塁打王になった大下 弘を「2位打者との本数比較も力量が抜けているかどうかを知る一つの方法」と断った上で、「2位飯島 滋弥(セネタース)に8本差をつけた大下のパワーが抜けていることは歴然だ」と書いている。

 さらに大下の20本塁打が「リーグ総本数の9.5%に当たる」と紹介。20本塁打以上放ってこの比率が8パーセント以上を記録しているのは、同書が紹介する1994年までの中では、53年の中西 太(西鉄)9.3パーセント、62年の野村 克也(南海)8.5パーセント、66年の王 貞治(巨人)8.0パーセントくらいしか見当たらない。

 では、中村の2011年の48本塁打はリーグ全体で何パーセントを占めていたのだろう。この年のパ・リーグの総本塁打は454本なので、中村の48本は実に10.6パーセントに相当する(ちなみにバレンティンの31本塁打は6.4パーセント)。歴代の強打者と比較しても中村のホームランを打つ能力は群を抜いて高いと言っていい。

 この中村を大阪桐蔭3年当時、取材したことがある。このときは今とはまったく異なる打ち方をしていた。グリップの位置が高く、バットのヘッドを投手の方向に入れ、下半身は振り子スタイルで打っていた。つまり、無駄な動作が多かった。それがどう変わっていったのか、本人の言葉で紹介してもらう。

「高校のときは打ちやすいように打っていたのでああいう形になったんですけど、ヘッドを入れたりしているとプロのピッチャーに対応しきれないと思ったので、そういうのはやめました。プロに入ったときは無駄がすごく多かったんですけど、やっと気づいたという感じですかね」

 この変化は2008年のことだったという。この年、中村は46本塁打を放って初の本塁打王に輝いている。それより3年前の05年に22本塁打を放って一度ブレイクしているが、翌06年から2年間は9本、7本と推移してプロの壁に泣いている。

「あのときは高校のときにくらべたらヘッドの入り方はそれほどでもなかったと思うんですけど、バットを結構上に構えていて。2005年はたまたまそれで打っていたんですけど、そこから打てなくなったので、それを全部省こうと思って」

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