高校時代、井納選手はエース格ではなく、初めて甲子園に出場した2003年もベンチ外だった。井納投手の才能が開花始めるのは大学時代になってから。しかしプロに入るまで紆余曲折を送ることになる。後編では大学時代の取り組み、ブレイクした社会人時代についてお話を伺った。
下半身の重要さに気付いた上武大時代

井納 翔一投手(横浜DeNAベイスターズ)
上武大学進学に際しては、
「最初は親に仕事をしなさいと言われました。ただ、自分としては野球をやれるからにはずっとやりたい思いがあって。親と相談して奨学金で進学しました」
「今となってはよかったですけどね」と振り返る志を貫いての大学進学。ただ、最初の3年間はなかなか思うように投げられなかった。
「最初の3年間は、今DeNAでチームメイトの加賀(繁)さんの代にピッチャーがそろっていることもあり、確実に投手枠は埋まっていて残り1枠を争っていました。僕は1年で少し投げましたが2年目の夏に肘を手術して。監督からは先輩たちが卒業する4年生から試合で投げられるようになればいい、と言われていましたが…」
とはいえ、少しでも早く試合で投げたいというのが投手本能というもの。早く復帰したい、焦りは募る、でもボールを投げられない。正直、心が折れそうになったこともあった。
だが、この手術をきっかけに大きく成長する。
「結果的には思い切って手術をしたのがいい方向に出たと思います。復帰後は球速も格段に上がりました。変わったのは手術したことがきっかけで、下半身に対するトレーニングを重点的に積んだことです。それまでは基本的にみんながやっているメニューをいっしょにやっていたのが、下半身に関しては自ら進んでやるようになりました」
投手に限らず野手でも、選手である間、もっとも大事だと感じるのは下半身。理論的に分析しているわけではない。だが、実感はときに理論を凌駕する確信をもたらす。
「大学時代の自分はまだ身体の線も細くて下半身の効果を感じるには至りませんでした。変わってきたと感じたのは社会人4年目ぐらいから。その間にも結果は出ていましたけど、大学時代からの下半身強化がやっと実ってきたかと。侍ジャパンの面々を見ていても、やはり下半身がしっかりしている選手が多い。だから下半身を重点的に鍛えることは今もしています」
そして迎えた大学最終学年。春、秋、両リーグ戦で最優秀防御率を記録、チーム6連覇に貢献し、全日本大学野球選手権で勝利する大活躍。一躍プロからも注目を浴びる存在となり、進路も希望したNTT東日本に決まった。