目次

[1]“仕方ない”では済まされなかったプロの世界
[2]偽装スタートの積み重ねが勝敗を分けることも

 現役時代、遊撃手として6度、三塁手として4度ゴールデングラブ賞を受賞。打ってもシュアな打撃で、大学・社会人を経由しながらも通算2千本安打(2133安打)を達成した元東京ヤクルトの宮本 慎也氏。常に次の塁を狙う積極的な走塁でもチームに貢献した。PL学園高時代は2年夏に全国制覇を経験し、同志社大、プリンスホテルでも中心選手として活躍と、アマチュア時代の経歴も華やかだ。

 現在は野球評論家をはじめ、幅広く活躍中の宮本氏に、走塁に関するご自身の経験や、球児へのアドバイスなど、じっくり語っていただきました。

“仕方ない”では済まされなかったプロの世界

宮本 慎也氏

 プロの世界に飛び込んだ者は誰しも“プロの洗礼”を受けるといわれる。94年のドラフト2位でプリンスホテル(00年限りで解散)からヤクルト(現東京ヤクルト)に入団した宮本 慎也氏も、プロ入り間もなくはアマチュアとの違いを感じたという。

「体力面や打撃面でも先輩たちとは差があると思いましたが、一番は走塁でした。たとえばファーストライナーで、一塁走者がベースに戻れずにアウトになった時、アマチュアなら“仕方ない”で終わりますよね。でもプロでは、ヤクルトでは、それでは済まされなかったのです」

 当時のヤクルトの監督は「ツバメ軍団」を3度の日本一に導いた名将・野村 克也氏。走塁においても高いレベルを求めていたのだろう。そうした環境で選手時代を送ったからか、宮本氏は走塁に対して厳しい目を持つ。

「今年4月1日のヤクルト対阪神の試合でこんなことがありました。場面はヤクルトが1点を追う8回一死一、二塁。川端 慎吾市立和歌山商高出身)が打った右翼フェンス際の飛球を、福留 孝介(PL学園高-日本生命出身)が捕球する仕草を見せたんです。これを見た二塁走者の荒木 貴裕帝京三高-近畿大出身)は右飛と思い、二、三塁間からベースに戻り、タッチアップに備えました。しかし福留が捕球の体勢をしたのは、実はフェイクで、打球はフェンス直撃打に。スタートが遅れた荒木は本塁で憤死しました。

 確かに風もあり、判断が難しかったでしょう。そのため、荒木を擁護するコメントも多かったようです。ですが、一死ですからね。ここはセオリー通り、二塁走者の荒木は、ハーフウェイでなければならなかった。無死ならタッチアップ、一死ならハーフウェイという基本を見落としていたのが、生還できなかった要因だと思います」

 話を戻そう。失敗が許されない中、宮本氏はすっかり、積極的な走塁ができなくなってしまった。「無理に次の塁を狙わず、安全に安全にという意識でしたね。とにかく怒られないようにしてました」と述壊する。そんな宮本氏が変わったのがプロ入り3年目。ちなみに宮本氏はこの年、遊撃のレギュラーに定着し、初のゴールデングラブ賞を獲得している。

「僕はそもそもホームランバッターではないし、プロで生き残っていくには、もっと走塁に興味を持たなければと気付きました。ただマークされた中で盗塁できるほどの脚力はなかったので、ならば盗塁ではなく、走塁で勝負しようと。そこから、ちょっとでもスキがあれば、先の塁を目指すようになったのです」

 走塁で影響を受けたのは同僚で先輩の飯田 哲也選手(拓大紅陵高出身、現福岡ソフトバンク守備・走塁コーチ)だった。宮本氏は「飯田さんの走塁はよく見てましたね。スライディングも参考にさせてもらいました」と話す。

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