関東第一高等学校 オコエ 瑠偉選手【前編】「大ブレイクの背景」
昨年春、國學院久我山戦(試合レポート)で先頭打者本塁打を放つ鮮烈デビューを飾り、その後も走攻守すべてにおいて高次元のパフォーマンスを示したオコエ 瑠偉。今年のドラフト候補に挙がる逸材だが、成長にはどんなきっかけがあったのかを語ってもらった。
飽きっぽい人間性を変えるところからスタート
オコエ 瑠偉選手(関東第一高等学校)
当時は楽しく野球をやれればよいと思っていた。それが入学時、オコエが考えていたことだった。そんな自分に対し、オコエは、
「本当に意識が低い選手でしたよ」と振り返る。この後、いろいろと技術的なこと、取り組み面について理路整然と述べてくれたのだが、そんな姿は想像できなかった。率直にその思いを伝えると、「よく言われます」と笑うオコエ。
当時のことをよく知る佐久間 和人コーチに当時のことを振り返っていただいた。
「中学の時から知っていた選手でしたが、彼が所属していた東村山シニアの監督さんからこういうことを言われていました」
それは何だろうか。
「結構、飽きっぽいところがあって、練習時間が2時間を超えると集中力がなくなって途中から投げ出すことがあったようです。実際、関東一に入っても、集中力がなくなるとすべてにおいて力を抜く(笑)。また、日本人は我慢することや目上の人を敬うことが大切とされていますが、1年の時は先輩に対して、我々を驚かせる行動も結構ありました。そういうところを正すところからのスタートでした」
まずは集中力が少しでも保てるように、指導を行っていった。だがなかなか変わらなかった。関東一の選手は寮に住むが、寮生はご飯を三杯食べなければならない。しかしその三杯も適当によそっているばかりであったという。
ここまでの行動を振り返ると、確かに1年生の時はベンチ入りも難しいと感じるだろう。だがオコエが変わったきっかけは2013年秋、チームが東京都大会優勝を決めたことだ。
「あのメンバーの中に伊藤 雅人、阿部 武士という同級生のメンバーがいたことが自分にとって刺激になって、僕もレギュラーを目指そうと思いました」
ここからオコエは練習態度、生活習慣を変えていく。まずは打撃フォームを変更。佐久間コーチ、米澤 貴光監督の指導で少しずつ矯正し、打てる形にしていった。そして少量だった食事も、たくさん食べるようになり、さらに走塁、守備も徹底的に磨いてきた。その姿を見て、佐久間コーチも「変わったな」と感心していた。
オコエの外野守備は高校生のレベルを超越していた
1年冬の目標は選抜でベンチ入りすることだった。選抜前の宮崎合宿でも、自分と同じセンターのポジションを守る熊井 智啓からポジションを奪うことを目標に懸命にアピールした。そしてようやく選抜前の練習試合に出場できるようになった。
オコエ 瑠偉選手(関東第一高等学校)
選抜ではベンチ入りはならなかったものの、それまでのアピールが認められ、直後の春の本大会でベンチ入りを果たした。1年秋までベンチ入りするどころか、意識も低かったと振り返るオコエが、意識を変えてわずか半年でベンチ入り。それだけ半年間の成長を物語っている。
佐久間コーチは、意識が変わればプロにいける選手だと思っていた。
「ナイジェリア人のお父様の血筋を引き継いでいるだけあって、入学当時から足の速さは素晴らしいものを持っていました。そこはスタッフも評価していましたし、私は彼にプロいけるぞ!といっていました。彼は笑っていましたけど、本気でした」
そしてオコエは衝撃的デビューを飾ることになる。2014年春季東京大会4回戦・国学院久我山戦。オコエは1番センターでスタメン出場した。当の本人は、緊張だった。オコエは佐久間コーチに緊張していることを打ち明けた。
「緊張で足が震えています!っていってきたんですよね(笑)。でもそういうところを正直に言えるのは彼の良いところです」
そして落ち着かせて入ったオコエはいきなりバックスクリーン横に飛び込むホームランを放つ。バックスクリーン弾は練習でも打ったことがない当たりであった。そしてこのホームランは練習試合、公式戦通じて初のホームランだった。この当たりはオコエ自身も驚きの一発だった。そしてこの一発に吹っ切れたのか、オコエは2回表の第2打席に死球で出塁すると、二盗、三盗を決める。
それからオコエは、その後の公式戦でも結果を残すようになり、瞬く間に台頭し、同じポジションの熊井からセンターを奪った。熊井の守備力の高さは知れ渡っていただけに、驚きであった。佐久間コーチはこの起用に関して、
「熊井は確かに足が速かったですし、高校生としてハイレベルな外野手です。しかしオコエは、トップスピードに乗ってからの加速といい、俊足を生かした守備範囲の広さが高校生のレベルではなかった。やはり生まれつきなんでしょうね」
ナイジェリア人の血を受け継いだオコエの身体能力は高校生レベルを超越していたのだ。この部分が佐久間コーチがプロへ行ける選手と評したところであろう。そしてオコエの潜在能力は夏になってさらに発揮される。初戦・東京成徳大高戦で本塁打を放つと、その後も、5回戦の堀越戦で4打数4安打の活躍するなど、22打数12安打。打率.545と大当たりだった。
だがオコエはこの好調ぶりを怖いと感じていた。
「うまくいきすぎていた感じがしました。これで厳しいマークをされて打てなくなるんじゃないかという不安がありました」
そして更なる活躍が期待された2年秋。オコエの不安は的中する形となる。
(インタビュー・文/河嶋 宗一)