英明高等学校 田中 寛大投手【前編】 「足りない」からこそ努力し続ける僕の「ライアン流」
昨秋時点で四国高校生最速だった141キロのストレートに、宝刀ツーシームをはじめとする多彩な変化球を駆使する田中 寛大投手。英明を昨秋香川県大会2年ぶり2度目の優勝、四国大会初優勝に導いた左腕が初のセンバツを前に、昨夏から今まで取り組む「ライアン流」の全てを謙虚に語ってくれた。
田中 寛大投手(英明高校)
――いよいよセンバツも目前に迫ってきました。現時点で冬に取り組んだ手ごたえはどのように感じていますか?
田中 寛大投手(以下、「田中」) この冬は色々と鍛えてきましたが、完成度に関しては高くなかったと思います。
――「完成度が高くなかった」理由は?
田中 身体は鍛えてきましたが、実際にはボールは高いですし、思うようなところにもいっていない。コントロールもバラつきがあります。だから、完成度的には高くないと思います。
――では、ここから初戦の大曲工業戦へどのようにピークを持っていきたいですか?
田中 先輩方も言われていたんですが、コントロールやボールの質は実際に試合で投げてみないとよくならない。センバツまでの練習試合の中でそこを上げられたらいいと思っています。
「どうしようもない」から始まったライアン投法
――ところで田中投手と言えば、右脚を高く上げる「ライアン投法」が特徴的です。ただ、この投法に到達する昨年夏までは悩みの中にありました。
田中 いくら腕を振ってもボールがいかない状態でしたし、自分で「調子がいい」と思っても打たれてしまう。投げたら打たれていました。「どうやったらいいんやろう?」と考えるほどマイナスの方に行ってしまう。「どうしようもない」という状況がありました。
――たとえば、ブルペンで調子がよくても打たれるような……。
田中 どんなに調子がよくても抑えらない。抑えられる気がしない気持ちの中で打たれたり、四球から自滅する。改善しようとしても対処法が出てこない感じでした。
――そんな中で「右脚を上げる」選択肢が出てきたわけですね?
田中 6月くらいに香川監督から「龍谷大平安高の高橋 奎二くんのように、脚を上げてみないか?」とアドバイスを頂いて。もちろんそれまでも高橋くんのことは知っていたんですが、僕とは身体つきも全く違いますし、身体の柔軟性も高橋くんの方が優っていたので、採り入れてはいなかったんです。
――ただ、そういう状態だと「もう、やるしかない」ということになりますよね?
田中 これまで何をやっても失敗していましたし、監督さんから言われたこともまずはやってみないと、いいか悪いかはわからない。自分が考えたことは悪い方向にしかいっていなかったので、監督さんの言われたことを採り入れることにしたんです。
[page_break:脚上げのイメージは「小川 泰弘さん(東京ヤクルトスワローズ)」]脚上げのイメージは「小川 泰弘さん(東京ヤクルトスワローズ)」
ライアン投法の田中 寛大投手(英明高校)
――こうして始めた「ライアン投法」ですが、その時にイメージしていたものはありますか?
田中 僕のイメージは力強い中でもゆったり投げる。僕は左投手ですが、東京ヤクルトスワローズの小川 泰弘(インタビュー)さんに似たものをまずは映像からイメージしました。
――その際、ポイントにしたことはありますか?
田中 もちろん、僕と小川さんとでは球速なども全く違いますが、龍谷大平安の高橋くんはスムーズに脚が上がるのに対し、小川さんは軸足の内側に力を溜めながら脚を上げていく。しかも踏み出す脚がなかなか地面に着かない粘りがある。加えて小川さんは打者側から見てもボールがなかなか出てこないフォームをされているので、そこも見習っていこうと思いました。
――そういったフォームを作るために、鍛えた身体の部位もあったと思います。
田中 最初に脚を上げて投球した時に身体のブレが見られましたし、本を読んでも体幹トレーニングの大事さが解ったので、その時間は多くとりました。
4点視位やスタビライゼーションとか、腹筋とか。今まではやっていてもただメニューを、甘い気持ちでこなしていただけでしたが、やっていくうちに軸ができるようになってきました。ただ、ここはまだブレがあるので、続けていけばボールにもムラがなくなってくるとは思っています。
――最初に練習試合で右脚を大きく上げて投げた際、感触や変化はありましたか?
田中 6月末の練習試合で投げて、その時は打ち込まれたんですが、フォームを変える前に打ち込まれた感覚とは全く違いました。自分がびっくりするくらい良いボールもきて、指にもよくかかっていました。ですので「まだフォームが固まっていないな」という感覚で練習試合を重ねていったら、フォームも固まり、球速もどんどん速くなっていったんです。
――球速はどのくらい上がったのですか?
田中 脚を上げる前は127キロ程度だったのですが、脚を上げてから130キロ台後半。最速140キロになりました。投げ始めた最初はそんな感覚はなかったのですが、投げるごとに身体も慣れて、自分でもびっくりするくらい腕も振れて。「ここまで変わるのか」と思うくらい変われました。
「これまでは身体が前に出てしまって体重が乗っていなかったのが、体重が溜まって前に出始めたんです」
田中 寛大を始め英明投手陣を指導する伊藤 新一コーチも驚く飛躍的変化。その成長を決定的なものとしたのは当時・絶対的エースだった赤川 大和(駒澤大進学予定)の故障により回ってきた夏の香川大会2回戦・高松桜井戦での先発マウンドであった。
(文・寺下 友徳)