花巻東時代の女房役・佐々木 隆貴選手が語る「アイツのこと」【後編】
前編では、佐々木捕手と大谷選手との出会いから、3年春の選抜大会までを振り返っていただきました。後編では、大谷選手が「160キロ」をマークした歴史的瞬間から、現在に至るまでのお話を聞かせていただきました。
球場の雰囲気を一変させた一関学院戦の『160キロ』
大谷翔平(花巻東)投球シーン
大谷はケガが治ったこともあり、徐々に実戦に即した練習が出来るようになっていた。例えば練習試合の登板では必ずテーマを設けていた。
「それは大谷と話しあって決めていました。甲子園では四球が多かったので、今日は1試合3四球までと決めて、あとはストレート中心の組み立てで抑えよう、変化球が切れているので、変化球中心といった具合で、無失点に抑えるとかではなく、投球の内容にこだわった話し合いが多かったと思います」
大谷は本戦で結果を残すために、練習試合ではテーマ性を持って取り組むことが求められていた。なかなかバッテリーとして組む時間がなかった2人だが、3年生になってようやくバッテリーとして機能し始めたのだ。
足が完治した大谷は走り込みの練習を増やした。制限をかけていた2年の頃とは違い、強度を上げて限界まで追い込むトレーニングへ。そのトレーニングの成果はストレートのスピードとなって現れる。
「練習試合ではあいつが投げることになれば、手狭な練習グラウンドのネット裏のスタンドはスカウトでいっぱいでしたね。調子が良い時は154キロ、155キロは出ていましたよ」
大谷が入学前に掲げていた目標球速は『160キロ』。160キロという数字も現実的なものになっていた。
そして最後の夏に突入する。佐々木曰く「しっかりと調整をしていましたし、調子は良かったですよ」と振り返るように、初戦からアクセル全開だった。
初戦の宮古水産戦で3ランを放ち、続く水沢工戦では最速153キロを計測する。準々決勝の盛岡四戦も、リリーフで1.2回を投げて無失点し、好調を維持。そして迎えた準決勝・一関学院戦。ついに大谷は大会初先発となる。大谷は初回からエンジン全開。常時150キロ台の直球、高速スライダー、カーブを披露。1点を取られるものの、味方の大量援護もあり、6回まで8対1と大きくリードする。この点差が大谷にとって大きかった。
「点差もあったので、開き直っていたのか、かなり腕が振れていました」
6回表、二死一、三塁のピンチで、打者は5番の鈴木。鈴木に対しては、リミッターを外したかのような全力投球。157キロを3球、159キロを1球、154キロを1球で3ボール2ストライクのフルカウントに追い込んだ。球速表示は高校生の範疇(はんちゅう)をとっくに超えていた。そして6球目。歴史的瞬間は訪れた。
インローに決まったストレートは『160キロ』を計測し、見逃し三振。この瞬間、大谷は雄叫びを上げながらマウンドを降りた。球を受けた佐々木に感想を聞いてみよう。
「最初はショートバウンドだと思いましたね。この速さでショートバウンドかよ!と突っ込みたくなりましたが、そこからグンと伸びてあっという間にキャッチャーミットに飛び込んできて。多分、打者も低いと感じたと思います。あの一球で球場の雰囲気が一気に変わりましたね。今まで受けた中で最高のボールだったと思います」
佐々木は今でもあの場面を興奮気味に振り返る。大谷が160キロを出したニュースは全国各地に伝えられた。1人の高校生が160キロを投げたことに周囲は熱狂していたが、その球を受けた本人の喜びには計り知れないものがあるはずだ。
[page_break: 離れてみて気づくアイツのすごさ]離れてみて気づくアイツのすごさ
2年連続の夏の甲子園を狙ったが、決勝戦では盛岡大附に敗れ、甲子園出場を逃した。ここで佐々木に、普段大谷はチームメイトにどんな顔を見せていたのか聞いてみた。
インタビューに応える佐々木隆貴選手(花巻東-日本大)
「160キロを出したので、特別な練習をしていたのかと思われますが、それはしていなかったと思います。投球だけではなく、打撃、走塁も、手を抜くことなく、取り組む選手だったんですよ」
そのためチームメイトの信頼も厚かったようだ。
「みんな、大谷のことを、背中で引っ張る選手といいますが、高校の時は気づいたことは結構、指摘していました。あれだけの選手で、そして取り組みもしっかりしていますから、みんな頷くしかないですよね(笑)。真面目な奴ですが、仲の良い同期だけではなく、先輩をいじることもありましたし、いたずらっ子な一面もあったんです(笑)」
そして佐々木が高校時代、大谷の行動で最も感心したのが、最後の夏が終わってからの練習への姿勢だったという。
「最後の夏が終われば、遊びたくなるじゃないですか。自分も遊んでいました。でもあいつは違うんですよね。引退後も毎日グラウンドに顔を出し、後輩と同じメニューに参加することもありました。現役と同じ緊張感で練習をしているんです。そこがすごいなと。それができるのは僕たちとは目指すものが違うからでしょう」
大谷は高卒からMLBを目指し、ドラフトでもNPBに行くか否かで話題になっていたことを覚えている方も多いだろう。大谷はMLBでプレーするために、行動に移すことができていたのだ。高卒からMLB入りは実現しなかったが、今でもMLBが最終目標であることは変わりない。高卒2年目までにあれほどのパフォーマンスができているのは、現状に満足せず常に己を高めたい気持ちがあるからだろう。
そして佐々木は卒業後、東都大学野球連盟に所属する日本大に入学。大谷のプレーしている姿を、テレビや日大の合宿所に近い[stadium]QVCマリンフィールド[/stadium]で見ている。今では球界の目玉選手に成長した大谷に対し、佐々木は改めてすごさを実感している。
「今、こうやって離れた立場でテレビからアイツの投球を見ると、改めてすごいと感じるんですよね。高校時代と比べると大きく変わっているな、と思います」
そして3年間、大谷と組んだことについては、
「良い経験をさせてもらいましたね。大谷と組まなかったら、今の自分はないと思っています。自分を高めることができましたし、感謝しています」
佐々木は高校時代に決めた社会人野球でプレーする目標に向かって邁進している。大谷とともに甲子園を目指して取り組んだ3年間は、佐々木の野球人生に大きな影響を与えた。こんな濃厚な3年間を過ごしてきた大谷-佐々木のバッテリー。このストーリーは高校で終わらず、ぜひこの先も続いて、新たな1ページを描いてほしい。
(インタビュー・河嶋 宗一)