敦賀気比高等学校 平沼 翔太投手 「目指すは世代ナンバーワンピッチャー!」
松井 裕樹(桐光学園)、高橋 光成(前橋育英)と後にドラフト1位指名された投手が脚光を浴びたのは、2年夏の甲子園だった。そして2014年の夏、2年生投手のうち最も甲子園で脚光を浴びたのが敦賀気比のエース・平沼 翔太だ。
甲子園5試合を投げて、3試合完投勝利、完封勝利1試合と抜群の安定感を示し、ベスト4に導く活躍を見せ、来年のドラフト候補と印象付けた。その平沼がこれほどの成長を見せた秘訣は何なのか。これまでのエピソード、本人の取り組み、また2015年度の抱負を、彼の発した言葉から探っていく。
投手として挫折を味わった1年秋
平沼 翔太投手(敦賀気比高等学校)【第45回明治神宮野球大会 1回戦 英明戦より】
福井市社中に進学すると同時にヤングリーグ・オールスター福井の門を叩いた平沼。この時の総監督は、由良育英(鳥取・現:鳥取中央育英)、大丸(現在は廃部)を経て1973年に巨人入団後、阪神移籍1年目の1979年・22勝9敗1セーブ(最多勝・最優秀投手・沢村賞・ベストナイン)をはじめ10年間で通算139勝95敗17セーブ。後に大阪近鉄や北海道日本ハムでも名コーチとして鳴らした小林 繁氏(2010年1月17日・57歳で逝去)である。
小林氏に指導を受けた平沼は、「いつか小林さんのような投手になりたい」と目標に掲げる。小林氏の教えで一番印象に残っていることについて平沼はこう語る。
「全国で優秀な奴はいっぱいいるから絶対に天狗になるな」
恩師として慕う小林氏の言葉をしっかりと胸に刻んだ。
中学3年時、敦賀気比の縦縞のユニフォームに憧れ、敦賀気比に入学した平沼。入学当時から野手としても才能が優れており、1年春から6番レフトで出場していたが、3年生投手との実力差を大きく感じた。
「3年生には、岸本 淳希(現中日ドラゴンズ)さん、玉村 祐典(埼玉西武ドラフト4位指名)さん、三染 真利(関東学院大)さんがいて、凄い投手ばかりでした」
ストレートのスピード、キレ、変化球のキレ、コントロール…。外野で守っていた平沼はそんな3人を見て、何もかも自分とは違うと感じていた。
1年秋は投手としてのウエイトが大きくなった。指導者から投球フォームの変更を薦められ、フォームの変更を行ったが、股関節のケガで、投げられなかった。その期間、コントロールも定まらず、思い通りのストレートが投げられなかった。一番しんどかった時期だと平沼は振り返る。
全く治らず、なぜ投げられないのかを考えた結果、フォームが悪いことに気付いた。そこで平沼は中学時代のフォームに戻したことで、ケガも治った。ケガが治った平沼は、11月に行われた1年生大会投手で活躍。決勝戦では春江工を完封。見事に優勝を決めた。
そして1年秋の最後の練習試合では履正社と対戦した。
「その前の1年生大会で優勝して、調子が上がっていたので先発し、その試合で好投しました。その時も結構自信になりましたが、さらに履正社が選抜準優勝したので、本当に自信になりましたね」
エースを目指して、冬は徹底的に走り、追い込んだ。
シーズン中でも身体作り、変化球を学び直し 夏飛躍へ
平沼 翔太投手(敦賀気比高等学校)【秋季北信越決勝 松商学園戦より】
冬が明けての春季福井県大会では準決勝で福井工大福井に3対5で敗れ、北信越大会出場を逃す。直後、平沼はシーズン中にもかかわらず、再びオフのようなトレーニングを行った。
苦手な朝食でもどんぶり飯を食べるようになり、昼、晩とどんぶり飯の量も多くした。
「冬と同じく走り込みと下半身中心のウエイトトレーニングを行って、夏の大会まで身体作りを行ったら、入学当時の73キロから78キロまでふえました」
このトレーニングが平沼の潜在能力を引き出すことになる。球速は自己最速の144キロを計測した。
勝てる投手になるための変化球の使い方も学び直した。中でも鍛えたのは一番得意とするチェンジアップ。今までは左打者しか投げなかったものを、右打者の内角にも使うようになった。チェンジアップだけではなく、スライダー、カットボールは左打者の膝元に投げ分ける練習も行った。
そして迎えた夏の大会。平沼はエースとして好投を続け、決勝では、春季大会で敗れた福井工大福井にリベンジ。10対2で破り、5年ぶりの甲子園出場を果たした。
140キロ台の速球に加え、変化球を右打者、左打者問わず内外角に投げ分けられるようになった平沼は甲子園でも快投を見せる。
甲子園4勝も、全国制覇への力不足を実感した大阪桐蔭戦
「一番まとまった投球が出来た」
と振り返る1回戦の坂出商は3安打完封勝利。2回戦の春日部共栄も1失点完投勝利、3回戦の盛岡大附戦で5回無失点と好投を見せ、準々決勝進出を果たす。準々決勝の八戸学院光星戦では、甲子園では一番のベストピッチングだった。
平沼は「最も良かった試合ですね。フォームを見れば、体重移動が完璧。ストレートの勢い、キレは何もかもが最高でした」と笑顔で語る。9回2失点の完投勝利で、ついにベスト4進出。敦賀気比は4試合で49得点。失点は僅かに4失点。投打で圧倒した勝ちあがりにチーム全体が優勝を狙える気持ちになっていた。
しかし準決勝の大阪桐蔭戦。1回表に5点を先制したものの、平沼はいきなり1番中村 誠に本塁打を打たれた後、3点を失い、2回裏に2点を取られ同点を許し、その後も大阪桐蔭打線の勢いを止めることが出来ず、5回10失点のノックアウト。チームは9対15で敗れた。
平沼は、「相手に向かう気持ちはありましたが、どこか逃げがあったかもしれません。自分の力不足を感じた試合でしたね」と振り返る。1か月半後、平沼は国体で大阪桐蔭の選手たちに「めっちゃ研究したんだよ」と告げられる。
「大阪桐蔭は本当に負けそうな相手には、徹底して研究するらしいです。僕たちはこれまで4試合、良い勝ち方をしたので、優勝行ける!という感じはしていましたけど、甘くなかったです」
掴んだ大きな自信。しかし全国制覇するためにはまだ足りないものがあると実感した夏。そして、名実ともにエースとして屋台骨を背負う新チームがスタートした。
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平沼 翔太投手(敦賀気比高等学校)【第131回北信越地区高等学校野球大会 決勝 松商学園戦より】
甲子園を経験したことで、平沼は投手として視野が大きく広がった。平沼がマウンドに立って投げる時に意識していることは、『野手の気持ちで投げること』だ。
「野手、監督さんから見て、波がある投手は見ていて不安になると思っています。テンポが悪い投手も守りづらい。だから僕が意識しているのは、波が少ない投手になること。そしてテンポ良く投げることを意識しています」
そして不調時でも試合を作れること。投手としてとても大事なことだが、どのようにしているのか。
「不調時でも試合が作れるには、打者との駆け引きが重要です。打者の立ち位置、スイングや素振りする姿を見て、苦手なコースは感じ取れます。打席の立ち位置というのは、何を狙っているのか、チームとしてどういう球を打ちたいのかが見えます。昨年の秋季北信越大会で、スタメン全員が打席の一番前に立って打つチームがありました。
そのチームには、変化球で見せ球にして、インコースに思いきりストレートを投げ込んで抑えることが出来ました。相手を見ながら投球が出来るようになっています」
「甲子園の激戦の後、じっくりと練習する時間がなく、本調子ではなかった」と語る北信越大会ですら、30回を投げて僅か2失点の快投で、優勝に導く快投。これも甲子園の経験が生きたものである。
だからこそ、このオフは「高卒でプロ入り」を達成するための重要な時間と平沼は考えている。そのために2つの目標も掲げた。
1.球速は150キロ
2.世代ナンバーワンピッチャー
「150キロといっても、誰もが打てないようなキレのある150キロのストレートですね。体を徹底的に鍛えて、来年には出したいです。
そしてストレートだけではなく、変化球を磨いて、投球の幅を広げていきたい。
投球の基本はアウトローといわれますが、それだけでは抑えられません。いろいろな引き出しがあるから、速球、変化球も活きると思っています。その結果、世代ナンバーワンのピッチャーになる。来年は大阪桐蔭と対戦する機会があれば絶対に抑えたい」
その先に見えるものは、2014年夏をはじめ、過去春2回・夏2回立つことが出来なかった敦賀気比の決勝進出。そして福井県勢悲願の甲子園全国制覇である。もし、2015年にその夢が現実となったとき、平沼 翔太は今年の高校生投手で最も輝きを放つ投手になることだろう。
(インタビュー・南乃 啓之介)