高校時代(青森山田)は1年夏からスタメン出場し、光星学院の北條 史也(現・阪神)、田村 龍弘(現・千葉ロッテ)とともに注目された京田 陽太選手。日本大学進学後、1年春からスタメン出場を続け、堅実な守備を持ち味にチームの主力選手となっています。京田選手から高校時代の取り組み、また自信にしている守備についてお話をいただきました。
基礎から守備を叩きこまれた高校時代
――京田選手は1年から6番ショートでスタメン出場をしてきましたが、当時自信があったのは遊撃守備でしょうか?それとも打撃でしょうか?

青森山田時代の京田 陽太選手(日本大学)
京田 陽太選手(以下「京田」) やはり守備ですね。入学した時から結構守れる自信があったのですが、当時部長の五十嵐先生に、基礎からとことん叩き込まれたことで、さらに自信になりました。
特に厳しかったのは試合における状況判断、カバーリングなどですね。ベースカバーは状況によっていろいろありますよね。自分は遊撃手ですが、三塁ゴロが転がれば三塁のカバー、捕手ゴロならば二塁のバックアップに入ったりと、打球が転がった方向によっていろいろあります。当たり前と言われている事なのですが、結構出来ていないことがあって、素早く入らなかったり、バックアップを怠ったりしたら厳しく言われる環境でした。
――守備が上達するまで、どんな練習を積んできたのでしょうか?
京田 ノック、打撃練習での守備、室内練習でやるゴロ捕り、壁当てをずっとやってきました。その中で一番鍛えられたのはノック。たとえば午前中から昼までの3時間ぶっ通しで、全体ノックを受けます。ノックもただ正面で捕るだけではなく、右、左とギリギリで捕れそうなところを泥んこになりながら喰らいつきました。それは全て実戦を想定してのものです。
実戦を想定して、ただ捕ってアウトにしたりするだけではなく、ミスをしてから落ち着いてアウトにすることにもこだわっていました。
実際にやっていたのはわざと打球を前で止めて、その後、素早く一塁へ送球するという練習の繰り返しです。
また、遊撃は飛び込んでいかないと捕れない打球もありますよね。飛び込んでからアウトにしようと焦ってフォームが乱れて、暴投してしまうこともあります。飛び込んで捕球してからもアウトに出来るように、練習ではギリギリ捕れる打球に飛びついて、すぐに起き上ってコントロール良く投げられる送球を繰り返していました。
ただ基礎の練習をするだけではなく、ありとあらゆる場面を想定をして、練習を行っていたと思います。