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第189回 横浜商科大学 進藤 拓也投手(西仙北高出身)2014年05月22日

【目次】
[1]「試合で投げたい」から「本気で甲子園を目指したい」に変わった高校時代
[2]本気で取り組んだからこそ感じた甲子園に行く厳しさ
[3]故障して自分を見つめ直した時間があるから今の自分がある

 中学時代は控え投手だった進藤 拓也投手。試合で投げたいという思いで、西仙北高に入学し、中学とは桁違いの練習を味わうことになります。真剣に取り組んだからこそ味わった厳しさ、高校野球の面白さを語っていただきました。

「試合で投げたい」から「本気で甲子園を目指したい」に変わった高校時代

横浜商科大学 進藤 拓也選手(西仙北高出身)

――進藤 拓也投手は中学時代(協和中)は軟式でプレーされていましたね。

進藤 拓也選手(以下「進藤」) 中学は1回戦負けで終わるようなチームで、自分はそのチームの控え投手で、試合にも出ていなかった選手でした。それでも高校で続けたいという気持ちはありました。

――軟式から硬式に移行して、順応するために工夫したこと。ようやく硬式に慣れてきた時期はいつになりますか?

進藤 中学の時に試合で投げられなかったので、高校では試合で投げられる投手になりたいと思っていました。引退してからも、硬式球に触ってキャッチボール、投げ込みなど、高校で続ける仲間と一緒に入学までずっと練習をしてきて、高校入学前にはだいぶ慣れてきました。

――甲子園を目指す中で、当時の監督から求められるレベルは、中学校の時と比べて大きく変わりましたか?

進藤 自分が1年の時の監督が秋田経法大附(現・明桜)で甲子園に導いている鈴木 寿先生でした。鈴木先生は自分が2年になるまで監督をやっていましたが、本当に厳しい方でした。

――甲子園に出場された鈴木先生が監督ということは、中学とは練習量は大きく変わりましたか?

進藤 中学との練習量とは桁違いでしたね。鈴木先生は『とにかく走れ』という考えの人で、ランニング、ダッシュ、投球練習などを延々とやってきた記憶があります。
 練習はきつかったですが、自分は試合で投げたかったので、歯を食いしばって取り組んできました。また、鈴木先生から甲子園に出場した時の話などをいろいろ教えてもらいました。まだ1年生の時はついていくだけで精一杯でしたが、2年生、3年生になって鈴木先生から教えてもらったことを少しずつ出来るようになってきて、試合で勝てるようになってきた時、『試合で投げたい気持ち』から『甲子園に行きたい』という気持ちにだんだん変わっていました。

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プロフィール

山崎 福也
進藤 拓也(しんどう・たくや)
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