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第199回 前橋育英高等学校 高橋 光成選手2014年08月29日

【目次】
[1]決め球の縦スライダーは中学時代に習得
[2]記録に惑わされない思考力
[3]過去は忘れて一からスタート
昨夏の甲子園初出場初優勝の前橋育英。その原動力となったのは、当時2年生の髙橋 光成だった。9月1日から開幕する18Uアジア選手権の代表メンバーに選ばれた高橋選手に、これまでの取り組み、昨夏の甲子園でのエピソードなどを伺い、高橋選手の素顔に迫ってみました。
決め球の縦スライダーは中学時代に習得
――身長188センチ、体重は82キロだとお聞きしました。いつごろから体が大きくなったのですか。
高橋光成選手(以下、高橋) 中学生のときです。中学へ入学したときは167センチでしたが、卒業する頃には185センチになっていました。体重は、まだ78キロぐらいでしたね。
――ご家族も身長が高いのですか。
高橋 いえ、僕だけです。父は175センチぐらい、母は160センチぐらい。姉も160センチ、弟も172センチです。

前橋育英高等学校 高橋光成 選手
――なぜひとりだけそんなに大きくなったのでしょう。
高橋 牛乳を毎日飲んでいたのがよかったのかも。食べるとき、飲み物をいつもたくさん飲んでいて、牛乳を毎日1リットルは飲んでいました。それだけが原因ではないのでしょうが、それくらいしか思い浮かびません。
――前橋育英を選んだ理由を教えてください。
高橋 中学時代の2つ上の先輩が3人いて、1つ上の先輩も1人いました。それで、もともと親しみがあったんです。実際に練習を見学にきたのですが、雰囲気がすごく明るくて。自然と、ここでやりたいなと思わせてくれるチームでした。
――昨冬での最高球速は、夏の群馬大会の決勝戦、最後の1球で記録した148キロだということですが、球速はどのような感じで上がっていったのでしょう。
高橋 中学時代は軟式野球をやっていたのですが、130キロぐらいです。高校に入学したときは135キロぐらいでした。1年夏に相当走り込んだら、その成果が1年秋に出て、144キロが出ました。
――昨夏の甲子園の初戦、岩国商戦(2013年08月12日)では、自己最多となる13奪三振をマークしました。そのとき印象的だったのが低めに制球された落ちるスライダーです。あの変化球は、いつマスターしたのですか。
高橋 中学のときです。中学時代は縦のスライダーと、カーブを投げていました。ただ、高校に入って、横に曲がるスライダーをマスターするなど、カウントや打者によって、微妙に調整できるようになりました。今は、基本的にカウントを取るときは横、三振をねらいにいくときは落ちるスライダーを投げています。
――具体的に、どのように調整するのですか。
高橋 握り方と、手首の角度を少し変える程度です。ひねり方を変えたりはしません。スライダーは握りだけ気をつけて、ストレートと同じように腕を振っています。フォークも同じですね。大事なのは、いかにストレートと同じ腕で振れるか。
――岩国商戦のあとの奪三振数は、2回戦は6個(対樟南)、3回戦は5個(対横浜)、準々決勝は10個(対常総学院。リリーフで5回を投げる)、準決勝は7個(対日大山形)、決勝戦は5個(対延岡学園)と、常総学院戦以外はさほど多くはありませんでした。最初の試合は他の試合とどこが違ったのでしょう。
高橋 周囲が三振の数を期待しているのはわかったのですが、疲れがどんどんたまっていく中で、そこを意識し過ぎると、自分で自分を追い込んでしまう。そもそもそんなに三振がたくさん取れるタイプでもないので。だから、三振の数を取るよりも、ゼロで抑えることが大事なのだと言い聞かせていました。

- 高橋 光成(たかはし・こうな)
- 所属:前橋育英高校
- 学年:3年
- ポジション:投手
- タイプ:右投右打
- 身長体重:188センチ/82キロ
- 群馬県沼田市出身。沼田利根中時代は軟式野球部に所属。高校入学後は1年夏からベンチ入りし、1年秋に関東大会に出場。2年春にも関東大会に出場し、準優勝。迎えた今年の夏は初の甲子園出場を経験。1回戦の岩国商戦(2013年08月12日)に13奪三振の5安打完封。2回戦の樟南戦(2013年08月16日)でも完封勝利。3回戦の横浜(2013年08月18日)には1失点完投勝利、準々決勝では6回からリリーフし、5回10奪三振の快投で、サヨナラ勝ちを呼び込むと、準決勝の日大山形戦(2013年08月21日)には1失点完投、決勝戦の延岡学園戦(2013年08月22日)には3失点完投で、前橋育英の甲子園初出場初優勝に導いた。
- 上記データは掲載時のものとなります。