「伝統校」の誇りと歴史を胸に戦う──100年以上の歴史を築きあげている高校野球。その中には幾度も甲子園の土を踏んだが、ここ数年は遠ざかり”古豪”と呼ばれる学校も多く存在する。

 昨年から導入された低反発バットや夏の甲子園二部制など、高校野球にも変革の時期が訪れようとしている。時代の変遷とともに野球の形も変わりゆく中で、かつて聖地を沸かせた強豪校はどんな道を歩んでいるのか。『高校野球ドットコム』では“名門復活”を期す学校を取材し、チームの取り組みや夏に向けた意気込みに迫った。

あと一歩聖地へ届かない41年間

 春季大会を制した浦和学院、センバツ4強の浦和実らを筆頭に、今年も混戦を極める埼玉の高校野球。そんな中で2010年の本庄第一以来となる県北の地から夏の甲子園を目指しているのが上尾だ。

 1963年の選抜大会で甲子園初出場掴むと、19070年代から80年代中盤にかけて常に優勝争いを演じ、県内の高校野球を牽引した。春夏合わせて7度の甲子園出場を誇る、いわずと知れた伝統校だ。

 現在指揮を執る高野 和樹監督も上尾に憧れた一人。高校1年時には上尾の基礎を作り上げた野本 喜一郎氏、東洋大進学後には達川 光男氏をはじめ多くの名選手を指導した髙橋 昭雄氏のもとで研鑽を積んだ。指揮官としても鷲宮増渕 竜義氏(2006年ヤクルトドラフト1位)を擁して県大会準優勝に導くなど、その手腕にも定評がある。2010年から上尾に着任し、母校の聖地帰還を目指しているが、その道は険しく、41年もの間悲願から遠ざかっている。

 近年では夏の埼玉大会で4、5回戦まで勝ち上がるもののベスト8以上の壁を破ることができていない。夏の甲子園100回を記念し、南北に別れて争われた2018年には決勝戦まで上り詰めたが、花咲徳栄に1対4で敗れ、惜しくも聖地への切符を逃している。41年甲子園から離れている間も、常に県内で存在感を示してきた。ただあと一歩——。その一歩が長く重くのしかかっている。

 学校は北上尾駅のホームから徒歩で40秒ほどの場所にある。駅のホームからも見えるグラウンドでは、緊張感を持った選手達が練習に励んでいる。一糸乱れぬ動きでランニングを行い、アップ、ノックまで太く共鳴しあった声が響き渡る。主将の石田 空内野手(3年)は「上尾は言われたことに対して素直に聞き入れ、ひとつの気持ちになってプレーできる」と語れば、エースの皆川 輝生投手(3年)は、「野球はもちろんのこと、礼儀や社会に出ていく上で大切なことも学べるいい学校だと思います」と誇らしげだ。

対浦和学院戦、史上最多の観客が押し寄せた

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