2010年07月28日 坊ちゃんスタジアム

宇和島東vs済美

2010年夏の大会 第92回愛媛大会 決勝

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宇和島東優勝

「もがききった」宇和島東、因縁深き済美下し全国へ!

試合前に設定された共同記者会見。「上り調子」という大会前の下馬評通り4試合中3試合がコールド勝ちと全く危なげない戦いで4年連続夏の愛媛大会決勝へと駒を進めてきた第3シードの済美・上甲正典監督は、母校であり、前任高であり、さらに教え子、土居浩二監督との対決となる宇和島東との頂上決戦についての意気込みを、どのように引き出そうかと身構えている報道陣の機先を制し、自らこのように話し始めた。

「確かに宇和島東は僕の母校ですが、子供たちもいるので僕の今の母校は済美です。土居(監督)と決勝で対決することも嬉しいですが、闘いの中では別。全部闘いの中では消してやります」。

さらに「頭を2時間フル回転する戦いにしないといけない」と教え子迎撃の準備は万全であることを強調した名将。しかし、筆者の中にここで1つの疑問が浮かび上がった。「『意識していないこと』を敢えて強調することといい、『練習通りにやればいい』と言わないことといい、実は上甲監督は現在のチーム状態に不安を抱いているのではないか?」

筆者の脳裏には大会約3週間前、松山市郊外の重信川沿いに広がる済美球技場で目撃したシートノックにおけるバックホーム練習のシーンが浮かんできた。この日は最初に右中間で中継ミスが起こると、今度は左中間、そして次はカットマンでミスの連続。1つ1つのプレーに対しネット裏に陣取る上甲監督からは大音量のスピーカーで事細かな改善策が出ていたにもかかわらず、選手たちの心はシートノックが終わるまで点から線にならないままだった。

そんな筆者の小さな疑念は試合前のシートノックでさらに大きくなる。特にライトからの返球は「勝てば甲子園」への緊張からか、ダイレクト返球はほとんどがホームから大きく逸れ、カットマンもホームまでの一直線上に立つ原則に反する位置取りが目立った。野球、特に実力が拮抗した相手からは大量点が望めない高校野球においてミスからの失点は致命傷となりかねないなか、同様の状況が試合中に起こったとしたら……。

一方、そんな済美ベンチとは対照的にノーシードから勝ちあがってきた宇和島東は、「上甲監督とはいつかは決勝で戦いたい夢を持っていましたし、今日はもう1つ大きな夢を叶えたい」と話す土居浩二監督を始め、シートノック時にも概して吹っ切れた表情が並んでいた。

加えて「気持ちよくのびのびと、そして『直感を大事にして野球をしなさい』と言ってあります」と、まるで師匠・上甲監督が甲子園でよく話していたような口ぶりで、今日の試合にあたり選手たちに伝えたことを述べた土居監督。そこには「思い切ってやるしかないのに、なかなかようせん(できない)のですよ」と、4月の宇和島東高校グラウンドや南宇和に逆転サヨナラ負けした5月の宇和島地区大会で見え隠れしていた弱気の虫は微塵もなかった。

結果的にこのコントラストは試合中にも様々な影響を与えることになる。

2回裏、宇和島東はこの2年間、様々な困難を乗り越えて済美エースの座を守ってきた先発、鈴木貴也(3年)から2死1・2塁のチャンスをつかむと、1回表に1回戦・松山聖陵戦に続き強烈なレフトライナーを掴み取る好プレーで先発・山本喬之(3年)を救った9番・浅野真矢(3年)が1・2塁間を破る今大会初安打を放つ。

定位置から前進しながら捕球したライトの位置から見て明らかに3塁ストップのタイミング。が、「試合前のシートノックを見てライトの肩が弱いのはわかっていた」3塁コーチャーの小島知晃(2年)は迷わずホーム突入を指示した。そして済美ライトからカットマンのセカンドへ返された送球は弱々しく、セカンドからキャッチャーに返されたボールも逸れて宇和島東は先制点を奪取。続く1番・寺尾桂汰(3年)も三遊間を破るタイムリーで続き、彼らは因縁の相手に点差以上のダメージを与えることに成功したのだ。

頬を叩かれた済美も反撃を見せる。5回表には、宇和島東同様に2死無走者から8番・河原亨彰(3年)の安打と9番・飯田将大のタイムリー2塁打に相手失策も絡めて同点に。甲子園でもおなじみのシーンである上甲監督が選手たちをベンチ前に座らせて指示を送った直後の同点劇は、やはり実力校の気概に満ちたものだった。

しかし南宇和に敗れた直後のミーティングでは、「これ以上結果を出せなかったら、3年生は2年生にチームを譲ろう」と選手たちが自ら退路を断ち、土居監督も6月に広陵(広島)との練習試合で3対5と惜敗した結果を見て「選手たちの気持ちは死んでいない。コンディショニングを整えればやれる」とこれまでの調整方法を変える決断を下すなど、この半年の間にチーム全体がもがききった宇和島東は同点にされても心が折れることはなかった。

さらにその宇和島東ナインを投打両面で支えたのは「大会前から1回戦と決勝戦での先発は決めていた」と、指揮官から全幅の信頼を得て送り出された山本である。6回以降は、鈴木と競い合うように3者凡退を継続したエースは、9回裏1死で回ってきた打席でも自らライト線への3塁打でサヨナラのお膳立てを作る。

ここで満塁策をとった済美ベンチ。だが「自分がアウトになっても後に打てる奴がいるので安心して入った」と笑顔で打席に入った浅野は迷わず初球を叩き、前進守備をしいていたセンターの位置まで飛ばす。そしてボールはカットに入ったセカンドがキャッチミス。ホームに返ってくることはなかった……。

試合後、帽子をとった土居監督のつばの裏には2つの言葉が書かれていた。1つは昨夏の大会前に書いたという「俺にはツキがある」。もう1つは今大会前に書いた「信念の魔力」。かくして、この1年で「ツキ」が起こるベースとなる「信念」を築く作業を怠らず「やれば出来る」の「魔法」を越える「魔力」を備えた宇和島東は、上甲監督が宇和島東監督を務めていた平成11年(1999年)第81回大会の夏以来、11年ぶり8度目の優勝という形で努力を成就させたのである。

(選手・監督コメント)
宇和島東
土居 浩二監督
「宇和島のみなさんが喜んでくれたことが嬉しいです。今大会は開幕4日前までポジションも打順も固定できない状態でしたが、それでもみんなで甲子園に行くことを決心したことが大きかったですね。浅野(真矢)は今大会ヒット1本ですが、大きな仕事をしてくれました。最後も代打を出すか迷いましたが、彼の気持ちの強さに賭けました。あと、今日は山本(喬之)のピッチングに尽きますね。赤松(茂樹・2年)も山本の連投が利かないところをよくカバーしてくれました。

上甲監督にはここ3年の間、声をかけて頂いていたし、選手たちの乗せ方など様々なアドバイスも頂いていたので、やっと1ついい恩返しができました。ただ、これに浮かれることなく愛媛県代表として責任をもって、相手がどこであれ『気持ちがブレずに1つ1つ勝つこと』をやっていきたいです」

中村 優太二塁手(3年・主将)
「サヨナラの瞬間は全力で山本のところに走っていきました。今日は後半勝負とみんなで言っていたので、同点に追いつかれても慌てたりはしなかったです。このチームは春までほとんど守備のメニューばかりしていましたが、それでもミスが続いていましたが、練習で打撃を優先するようになってからは守備のリズムもよくなってきました。あと、ミーティングは選手たちだけだったり、監督を交えたりして頻繁にやりました。甲子園はまだ実感がありませんが、今までやってきたこと出して一生懸命プレーしたいです」

山本 喬之投手(3年)
「今日はスライダーとカットボールの切れがあって6回以降はよかったです。昨夏は自分のせいで済美に負けていたので、絶対に抑えてやろうと思っていました。浅野の犠牲フライでは行くしかないと思ってホームに突っ込みましたし、何も聞こえなかったです。全国では自分たちの持ち味であるはつらつとしたプレーをしたいですね」

浅野 真矢左翼手(3年)
「2回のタイムリーはチェンジアップ、9回はインコースのスライダーに勝手に体が反応してくれました。9回は自分がアウトになっても後に打てる選手がいるので、安心して入れました。ミスもあったけど、結果がいいほうに出てよかったです」

三浦 眞吾遊撃手(3年)
「(腰痛の影響で)大会直前まではサードにも入っていましたが、最終的には『自分がショートをやるしかない』と思って今大会に入りました。バッティングについては今日も力が入っていたので納得がいかない部分がありますが、坊ちゃん(スタジアム)の硬いグラウンド状態を頭に入れた守備はよかったと思います。甲子園に行くことはずっとテレビで見ていた世界なので実感はないですが、いい投手ばかりなので、まずはつないでいくことを意識して、長打は打てるときに狙っていきたいです」

済美
上甲 正典監督
「負けるときはこういうものだと思うが、誰がどうこうでなくみんなで戦って相手が1枚上だったということです。鈴木(貴也)は6月に盲腸が発覚して緊急手術を行った中で、一言も愚痴を言わずに頑張ってきた姿には頭が下がりますね。宇和島東には愛媛県代表としての野球をしてほしいと思いますね」

鈴木 貴也投手(3年)
「高校野球は辛いことの方が多かった。それも甲子園に行けば晴らせると思ったのですが……。1年夏に行ったときはマウンドに立てなかったのでもう一度行きたかったし、このメンバーで行きたかったです」

(文=寺下 友徳




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