【三年生座談会】日本大学鶴ヶ丘高等学校(西東京)
「結果の出ない練習は練習ではない」という思いで過ごした2年半
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▲後列左から 木内文弥(背番号19)、茂呂岳治(背番号9)、吉岡航(背番号15)、疋田健太郎(背番号9)
前列左から 幡野健人(背番号6)、佐藤健人(背番号2)、小机滉大(背番号8)、大高光(背番号1)
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この夏、西東京大会を第一シードで迎えた日大鶴ヶ丘。
当然、4年ぶりの甲子園出場を十分意識しての戦いとなった。しかし、結果はベスト8進出を前に、早稲田実を倒して勢いのあった日野に破れた。勝てば次の相手が、昨年準決勝で敗れて以来、目標としてきた日大三。「日大三に何とかリベンジしたい」という意識も強くあって、先を見過ぎてしまったのかもしれない。
そんな、夏の戦いを日大鶴ヶ丘の3年生たちが、今振り返った。
◎座談会メンバー
佐藤健人:捕手で主将としてチームをまとめてきた
大高 光:身長187㎝の長身本格派として大会前から注目を集めていた
木内文弥:三塁コーチャーとして冷静な判断をしながらチームを見つめてきた
幡野健人:四番で遊撃手。攻守の中心として活躍してきた
疋田健太郎:怪我が多くて最後の夏は、やや不完全燃焼
小机滉太:二番中堅手で、きちんと自分の仕事をこなしてきた
茂呂岳治:昨年からの経験も豊富で、リードオフマンとして活躍
吉岡 航:ムードメーカーとしてベンチを明るくして常に盛り上げていた
(インタビュー : 手束 仁)
この夏の大会を振り返って
▲新チームとして挑んだ2011秋季大会より
――第一シードとして迎えた、夏の西東京大会でしたが、結果としてはベスト8を前に敗退ということになってしまいました。その夏を、主将から口火を切って、振り返ってみてください。
佐藤健 去年に比べて、今年の夏は試合数が少なく、不甲斐ない結果に終わってしまいました。結果としては、相手の日野の方が、気持ちで勝っていたのではないかと思いました。
大高 (日野の)前の試合とかを見ても、勢いがあるし、打力もあって、厭だなというか、大変な試合になるだろうなという気はしていました。実際に戦ってみて、それを実際に感じていました。
――実際、それは皆、戦いながら感じていたのかな?
幡野 相手投手は、自分たちが予想していた以上によかったです。打てそうで、打てませんでした。初回にチャンスが来たんですが、そこで点取れなかったのが、最後まで効いてしまいました。(四番打者として)悔いは残りました。
疋田 ボクは、日野戦は3回くらいで代えられてしまって、試合としての思い出はないです(苦笑)。終わっちゃったなぁという感じでした。
大高 ボクが、(マウンドを降りて)外野に入ったことで、代わることになりました。
小机 初回に、悪い流れで点を取られてしまったことと、自分としては焦った場面でバントを失敗してしまって、悔いが残りました。
▲木内文弥(日大鶴ケ丘)
――結局、全体としてチームで流れを作りきれなかったということになるのかな。
小机 チャンスはいくつもあったとは思うんですけれども、そこで打てなかったし、掴みきれなかったです。
木内 自分は三塁コーチャーやっていて、相手が三塁ベンチで、スタンドの応援も勢いを感じていました。結局、腕を回す場面も2回ぐらいしかありませんでした。
吉岡 6回、その試合で一番点差を詰めて同点に近づける場面で、代打で出たんですけれども、打った瞬間に今までの高校生活で経験したことのない絶望を感じました。いつも、ベンチで盛り上げ役をやっていたのですけれど、その日はなぜか最初からちょっと、いつもと違っていましたね。
――打った、結果は何だったの?
吉岡 セカンドゴロでした。
茂呂 ボクは、まさか(4回戦で)負けるとは思ってもいませんでした。
▲大高光(日大鶴ヶ丘)
――そうすると、むしろ「日野が強いぞ」ということを意識し過ぎてしまったということがあったのかな。
大高 そうかもしれません。自分としては、どちらかというと早稲田実が来て欲しいと思っていましたから。(日野に対して)一番やりにくい相手という意識が出てしまいました。
――それでは、相手が早稲田実と日野だったら、早稲田実の方が戦いやすいと思っていた人、手を挙げてみてください。
(8人中5人が挙手)
幡野 (手を挙げなかったのは)ボクは日野には右投手しかいないと思いましたから、日野の方がやりやすいと思っていました。それと、早稲田実は、あの応援が嫌だなと思っていましたから、あれをやられたくないと思っていました。
[page_break:最後の公式戦…負けた瞬間感じたこと]最後の公式戦…負けた瞬間感じたこと
▲左から幡野健人、疋田健太郎(日大鶴ヶ丘)
――結果的には、その日野にやられてしまうことになったのですが、負けた瞬間にはどんなことが頭を過りましたか。
大高 何だか、あっという間の試合だったなという気がしました。
木内 自分は、3年間があっという間という感じでした。
幡野 これは、ほんの一瞬のことなんですが、負けちゃったからどうしようもないなと思いつつ、「夏休みっ」と思いました。ほんの一瞬ですけれどもね(笑い)。
一同 (爆笑)
疋田 ボクは、怪我が多かったので、今年の夏も3打席しか立っていなくて、何もしていないという印象です。
小机 自分としては、出来ることはすべて出し切ったという気はしていましたから、悔しかったし、悔いは残りましたが、やり切った感じはしました。
茂呂 ボクは、不完全燃焼でした。
佐藤健 公式戦は、負けるときは同じような負け方をしていました。それが結局、夏も変えられなかったんだなと、そう思いました。
――同じような負けとは…?
佐藤健 守備のミスだったり、練習試合では起こりえない凡ミスとかで、春も秋もそれで負けているのです。結局、それが出てしまったなという気がしていました。
吉岡 自分は入学した時から、まさか公式戦のユニフォームを着られるとは思ってもいませんでした。だから、3年になって春も夏も着られたことが、信じられないというか夢物語みたいでしたね。
3年間の野球部生活の思い出
▲疋田健太郎(日大鶴ヶ丘)
――3年間の野球部の生活を通しての思い出というのはどんなものがありますか。
大高 朝早くから、毎朝自主的に練習をしていて、オフの時でも毎日続けていて、それがメインみたいな感じでやっていたことですね。
佐藤健 朝練は、直接グラウンドへ向かってそこで、ぎりぎりまで練習して、そこから8時29分までに学校へ来るんです。
大高 雨の日でも、どんな時でも続けていました。
疋田 自主練習というか、自分でメニューを決めてやりました。
――そういうスタイルの朝練習というのは、日大鶴ヶ丘は、例年そうしていたということですか。
佐藤健 そうです。そうした、自主的な練習が伝統みたいな形になっていて、自分たちで考えて課題を克服して、それで自分たちを磨いていっていくというスタイルです。
――その練習を通じて、3年間で自信を持って成長したと言えることは、何ですか。
疋田 早起きです!(笑い)。いや、マジで自分は学校から遠いんですよ。だから、毎朝4時には起きて、4時50分には自転車に乗っていました。家の人も大変だったと思うのですが、それには感謝しています。
幡野 秋の大会で帝京に負けて、パワー不足を痛感して、(萩生田博美)監督さんにも言われたのですけれども、それで徹底してウエイトトレーニングをやっていきました。自分と佐藤、西澤(駿太)とで、始めたんですけれども、ウエイトの数字も上がってきました。
佐藤健 パワーもそれなりについてきたということ、やりながら思っていました。
幡野 そのおかげもあって、バッティングの幅が出来たということは感じました。
▲左から小机滉太、茂呂岳治(日大鶴ヶ丘)
――合宿や練習を通じて辛かった思い出なんて言うのは、ありましたか。
吉岡 長野合宿だったんですけれども、コーチの方に正座して怒られている時に、でっかい蜂が飛んできたんです。そして、思わず、その蜂を見てしまったんですが、そうしたらまたそのことで、えらい怒られました。その時に、「これが高校野球か」と…(笑い)。蜂に刺されることの心配よりも、コーチの言葉を聞かなければいけないんだと、これは衝撃を受けました。
――練習の中で、持久走とかそういうトレーニングの辛さは何かありましたか。
茂呂 このチームは、そんなに走らないんですよ。
佐藤健 多分、他の高校野球チームよりも、走らないと思います。
大高 (投手としての)練習の中では、少し走るということはありましたけれど、強制されてどれだけ走れということはなかったですね。
――チームとしては、自分たちの意図を優先して、練習メニューへ組んでくれているという形が多かったんですね。
佐藤健 全体練習の中でも、個々の練習メニューを多く取り入れしていました。それは、他の学校の練習などを見たり聞いたりしていく中で、日鶴の特徴だなと思いました。
――そうなっているのは、練習時間がある程度限られているというか、そんな条件もあったからということでしょうか。
佐藤健 それもあると思います。もちろん、連携練習とかそういうことはよくやるんですけれども、練習時間の中で、無駄をなくするということで個人練習が多かったということだと思います。
[page_break:一番印象に残った試合]一番印象に残った試合
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▲昨年度秋季大会での日大鶴ケ丘ナイン
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――3年間の中で、自分にとって一番印象に残った試合というか、思い出の試合を挙げてみてください。
大高 このチームになって、最初の公式戦となった、秋季ブロック予選の初戦、明大明治戦ですね。ブロック予選なので楽に行けるかなと思っていたのですが、皆すごく緊張していて、点が取れそうで取れなくて、すごい接戦になってしまって…。もし、あそこで負けていたら、今、全然違うことになっていたと思います。
木内 3年生になって、三塁コーチャーがメインになっていましたから、3月以降はメンバーには入っていたのですが、試合に出ることはありませんでした。それが、夏の前にメンバーに入れなかった人たちだけの試合があったのですが、その試合に呼ばれて、周囲のメンバー外の人たちが、一緒にやろうと言ってくれたことが嬉しかったし、その試合が一番の思い出ですね。
疋田 ボクは夏の大会前の日大藤沢との練習試合ですね。その試合の1打席目に、親指にデッドボール受けて折れてしまったんですが、夏の大会前なので怪我をしていると言ったら、出られなくなってしまうと思ったんです。それで、その試合は出たんずっと出ていたのですが、その日に限ってフライが多くて捕ったら無茶苦茶指が痛かったんで、すぐにボールを離してしまうくらいでした。その痛みが、最大の思い出です(苦笑)。
小机 秋季大会の本大会初戦の明大中野戦です。その試合前から熱が出ていて38度5分もあって、朝来た時から頭も痛かったんです。ただ、そのことも言えなかったのですが、結局その日は、朝来るときに吐いてしまって、ベンチに入ることもなく、帰ってしまいました。ずっと、試合のことも気になっていたのですが、迷惑かけてしまったなと思っていました。出られなかった、その試合のことが、一番印象に残っています。
▲吉岡航(日大鶴ヶ丘)
吉岡 ずっとB(チーム)にいたので、あまりA(チーム)の試合に出ていませんでした。それが、春のメンバーを決める静岡遠征のバスの中で、メンバー発表されたらスタメンだったんで「どうしよう」と思っていたのです。ところが、その日はなぜか振ればヒットみたいな感じでした。結果を見てみれば8打数6安打で「これがオレか」と思いました。その静岡市立との試合が一番印象に残った試合です。
――吉岡君としては、それが効いて、夏のベンチ入りも取ったということだよね。
吉岡 実は、それだけだったのですが…(笑い)、そうですね。
幡野 ボクは、秋季大会前の矢板中央との試合ですね。その日は、内野にエラーが多くて、途中で監督さんから「外野手用のグラブで内野守れ」と言われて、外野手用を使ったんです。内野手としては、屈辱でしたが、案外捕れちゃうんです。それで、大会もそのまま行っちゃったんですが、やはり内野手として外野手用のグラブを使っているのは、カッコ悪いなと思って、それで奮起して冬の間に練習して、晴れて内野手用のグラブでやれるようになりました。
先輩から後輩へメッセージ
▲日大鶴ヶ丘 横断幕
――最後に、高校野球を終えた先輩として、後輩たちへのメッセージをお願いします。
佐藤健 意識が変われば、プレーも変わってくると思うので、試合で負けたり、自分でショックを受けたことをマイナスに考えるのではなくて、それをプラスに考えていくことです。ポジティブに捉えていけば、自分に対する練習内容も変わってきて野球も上達して、楽しくなると思います。だから、まずは意識を変えていくことを勧めます。
大高 自分は、最初は体も細くて球も速くなかったのですが、それで自分で何が足りないかを考えて、トレーニングで体を作っていって、球も速くなりました。だから、自分の弱点を見つけて、そこを鍛えていけばいいと思います。
幡野 これは、パクリなんですけれども、人生には3つの坂があるというじゃないですか。調子のいい時の上り坂、悪い時の下り坂、そして調子が悪いのにいいことがある「まさか」です。その、「まさか」を呼び込むためには、どれだけ準備をしているのかということです。結論としては、準備をしていれば、いいことが起きるということです。
疋田 高校野球はどれだけやっても、2年半しかありません。たった2年半ですから、辛い思いをしても、結果が出来れば嬉しいと思います。だから死に物狂いで練習して、結果を出してほしいと思います。「結果の出ない練習は、練習ではない」というのは、萩生田監督の言葉でもあるのですが、その通りだと思います。
小机 辛い時とか、苦しい時とかいっぱいあると思うのですが、その時に如何に自分自身に負荷をかけられるかだと思います。いい思いをするためには、自分に厳しくしていくことです。
茂呂 これは、監督さんからも言われたことですが、「真面目に生きろ」ということです。真面目に生きていれば、いいことがあると思います。
――それで、茂呂君はいいことはありましたか。
茂呂 ちょっとは、あったと思います。
――それなら、真面目に生きていたということだね。
吉岡 自分の出来ることを生かしていくことです。自分の場合は、チームを明るくして盛り上げることだと思っていますが、そういう自分の得意なことを伸ばしていけば、何かチームの役に立てるようになると思います。
木内 高校野球は短期間の間で、苦手克服ということにも限界があると思うのですが、それ以上に自分の得意なこと、長所を伸ばしていくことで苦手なことも克服出来るようになれると思います。
――いいアドバイスだと思います。今日は、ありがとうございました。
(インタビュー・構成=手束仁)