【三年生座談会】市立岐阜商業高等学校(岐阜)
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▲左から服部、桑原、新井、秋田、井尾
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昨秋は岐阜県大会を制し、東海大会ではセンバツ当確となる決勝進出にあと一歩と迫りながら、準決勝(2011年10月29日)で敗れた市立岐阜商。今度こその思いで挑んだこの夏でしたが、岐阜大会準々決勝(2012年07月25日)で1点差で惜敗し、甲子園出場は叶いませんでした。敗戦後のベンチ裏での慟哭・泣きじゃくりたるや、記者陣ですら容易には声をかけがたかったほどです。そこから10日が経ったこの日、涙も乾いて清々しい表情で、ところどころ脱線話も織り込みながら、高校野球生活を振り返ってもらいました。
多くの野球部に共通する風景のなかに、市立岐阜商ならではの絆もたしかにある。まさに「青春」が見てとれる素敵な座談会になりました。日々ハードな練習を乗り越えながら、メンバーで意見を出してアップから改革したり、キャプテンにわざと反抗するのがお決まり(?)になっていたりと、厳しくも明るい「僕らのチーム」をつくった3年間でした。
◎座談会メンバー (カッコ内は夏の大会での背番号)
新井 颯斗(16) : 主将。メンバーに「いじられ」ながらも(3頁目参照)、チームをまとめた
桑原 羽耶人(12) : 副主将。秋田和哉監督が「精神的にも成長した」と相好崩す
秋田 千一郎(1) : エースで4番。県内では1年時から世代ナンバーワンの存在
服部 大樹(3) : 飛距離は県でも群を抜くスラッガー。昨秋県大会準決勝で2弾
井尾 優太(8) : 入学前にケガで手術。「Bチーム」から這い上がり、県屈指の好打者に
(インタビュー : 尾関 雄一朗)
数々の思いが交錯した「最後の攻撃」 ~夏の大会を振り返って~
▲準々決勝敗退後(左:新井、左から2人目:秋田)
――今大会は初戦から7対0、3対0、6対0と順調に勝ち上がりましたが、準々決勝で昨夏の覇者・関商工に1対2で惜敗しました。市立岐阜商(以下「市岐商」)の3年生にとって「最後の夏」、どんなシーンが印象に残っていますか?
新井 負けて「最後の試合」になってしまった関商工戦は、今でもよく覚えています。特に1点をリードされて迎えた最終回の攻撃ですね。僕は三塁コーチだったんですが、走者一、二塁でレフト前ヒットが出たんです。二塁ランナーを本塁へ向かわせるか三塁で止めるかで判断を迫られたのですが、(腕を)回さずに走者を止めました。結果的には、相手のバックホームがよく、止めて正解でした。実はちょうど去年の夏、同じような場面で二塁ランナーが本塁突入してアウトになり、試合にも負けたんですが、そんなシーンが今年もいつかあるぞとイメージしていたので、「きた!」と。
秋田 あの場面、ランナーの加藤(貴大・3年)も(三塁ベース上で)喜んでいたよね。
新井 加藤は本塁にいく気満々だったので、僕の前を通り越してから慌てて止まった(笑)。試合後「止めてくれてありがとう」って言われました。
井尾 1点ビハインドで最終回を迎えたけれど、負ける気はしなかったです。先頭打者の桑原がヒットで出て、まるでマンガみたいなシチュエーションになり、「これが野球だ!」と思いましたね。(それまで自身4打数4安打で)5打席目がその9回裏に回ってきましたが、自分がヒットを打つものだと信じて疑わなかったです(結果は敬遠気味の四球)。
▲座談会の様子(左から秋田、井尾)
服部 僕は大会を通じて打てなくて、代えずに使ってもらった秋田(和哉)監督にも申し訳ないです。その準々決勝の最終回、一死満塁で自分に打順が回ってきたとき、次打者の(秋田)千一郎や伊藤(凌一・3年)が「お前がメンバーの中で一番バットを振ってきたんだから」と言ってくれて、気持ちは入っていたんだけど…。
秋田 みんなが最終回につないでくれて、バッターは一番バットを振り込んできた服部。こいつが決める運命かなって思った。でもまさか(服部が三振して)自分に回ってきた(笑)。
一同 (笑)。
秋田 それで、自分が決める運命なんだ、と思い直したんだけど…(初球の変化球を打って左飛)。打てなかったのは自分の力不足。ストライクで攻めてくると分かっていた(ので初球を打ちにいった)んですが、今になってVTRを見ると、何であの球を打ったんだろう、と思うことはあります。時間がたつにつれて後悔が…。
桑原 僕は初戦の羽島戦で、試合後に副キャプテンとして相手校からの千羽鶴を受け取りに行ったことが印象深いです。相手のキャプテンや保護者の方から「市岐商さんと試合ができてよかった」「市岐商さんなら甲子園に出られる。その市岐商さんに負けたなら、光栄なこと」と言ってもらえて、すごく心に響きました。羽島高校さんは選手が13人だけで、1年生が入るまでは大会にも出ていなかったんですが、その人たちにも「夏」があって、そういう思いも自分たちに託されたんだなと感じました。
[page_break:「ラスト1回」の後さらに「プラスα」 ~3年間を振り返って~]「ラスト1回」の後さらに「プラスα」 ~3年間を振り返って~
▲遠征バスの帰り(3月撮影)
――甲子園には出場できませんでしたが、3年間、厳しい練習を乗り越えてきたんですよね。
服部 冬の強化練習では、片道20キロ近く離れた神社をロードワークで往復して、その後学校の外周(約700メートル)をタイムを計りながら10本とか、きつかったです…。
新井 死ぬような思いをしながら走り抜きました。キャッチャーの不破(一輝・3年)なんて、終わったあと感極まって泣いていたよね。
桑原 あとは普段の練習前にやる、市岐商伝統の「100バル」もきつかったです。レフトからライトまでの100メートル区間を18秒で走って、42秒でスタート地点へジョグで戻るのを繰り返します。普通これは10~15本ぐらいで終わるんですが、(本数を決める)キャプテンの新井が頑張るヤツで、「ラスト1回」の後さらに「プラスα」でどんどん続けるので、しんどかった。
新井 みんな「いつ終わるんやて!」って僕に言ってくるし、自分もつらいけれど、それぐらいやらないと(勝てない)。去年の倍、って感じで思っていました。
▲座談会の様子(左から服部、桑原、新井)
井尾 でも(6組に分かれて10秒ごとにスタートを切るが)後ろの組は地獄やで!本数を考えながら先頭を走る新井はいいけど、後ろを走る身としては、これだけの本数をやるって最初から言ってほしかった(笑)。
服部 後半になるほど、前の組で走るメンバーの一部が遅れてくるし、自分も遅れることがあるので、組の顔ぶれが徐々に変わっていってたような…。
桑原 しかも、以前から100メートル区間だと思って走っていたところを、あるとき部長の有賀(竜也)先生が測り直したら距離が80メートルぐらいしかなくて、(正規の100メートルは)最初「長っ!」って感じたなぁ。
――練習の思い出は尽きないですね。ところで、ちょっと脱線して、3年間の中には「珍プレー」もあったと思います。ぜひ、聞かせて下さい!
新井 これは服部ですね!新チームになった当初はレフトを守っていたんですが、そのとき肩を痛めていて、長い距離を投げられなかった。ある日練習試合で左中間を破る長打が飛んだとき、打球を捕った服部は自分が投げられないからか、中継に投げず、いきなりセンターにトスしたんです。
桑原 しかも、しっかりトスしたならまだいいですが、そのトスが引っかかってしまい、ボールはセンターの遥か頭上を越えていった(笑)。で、ボールが転々としている間にランニングホームランになってしまった。
一同 (爆笑)
桑原 センターを守っていた後輩は突然トスされて「えぇっ!?」って感じでびっくりしていたし、さすがの監督も失笑していました。
服部 山なりのボールしか投げられないと思ったので、それならセンターに渡そうとトスしたら、引っかかっちゃいました。
秋田 スコアブックの記録が「7-8-6」というね。
井尾 あのプレーが一番忘れられんな。僕はそのゲームでは審判をやっていたんですけど、全然ボールが返ってこないと思ったら…。思わず二度見したもん。
――それでも、秋田監督は「公式戦では服部は、エラーらしいエラーはしていない」と、守備面での成長を褒めていましたよ。
[page_break:アイディア出し合い「僕らのチーム」に ~チームの団結~]アイディア出し合い「僕らのチーム」に ~チームの団結~
▲冬のトレーニング(1月撮影)
――3年生は21人いましたが、派閥もなく誰とでも喋れて、みんなが仲のよい学年だったと聞いています。その団結力はどうやって生まれたのですか?
秋田 新チームになってすぐ、みんなでミーティングをしたときかな?
一同 あ~、(ミーティング)したねぇ。
秋田 ミーティングでアイディアを出し合い、自分たちでいろいろとやり方を変えたんです。たとえば、アップのやり方。メニューにある「ブラジル体操」にしても、「長くてだれるから」とプログラムを自分たちで取捨し、内容を濃くしました。同時に、相手チームが見入ってしまうようなアップにしようと。
桑原 実は練習試合で東海大菅生(東京)さんのアップを見たとき、迫力がありすぎて圧倒されました。それで、新井と僕で東海大菅生さんに聞きに行って。それをもとに、自分たちもアップから凄いものにしていこうと。
秋田 下級生も意見を出してくれて、「僕らのチーム」になっていく感じでした。ランニングの掛け声も、盛り上げるために「わっしょい」にしました。これが結構かっこよくて、秋の公式戦では他チームから視線を集めましたね。
桑原 球場だと声も響くから。観客の方も、注目して見てくれるようになった気がします。
井尾 県内のある高校で秋以降、掛け声を「わっしょい」に変えたチームがあると聞きました。真似させている時点で、その学校には勝ったなと思いましたね。
――ほかに、団結力を生んだ秘訣があれば聞かせて下さい。
▲昨秋県大会優勝盾など
井尾 個性あるヤツが多いですからね。特に、みんなキャプテンの言うことを聞かない(笑)。キャプテンが何か言うと、口々に「それは違うだろ」って。それで逆にチームがひとつになった。
――冗談で言い返してるんじゃないの?
新井 いや、結構本気で言い返してくるんですよ。僕が言ったことには、とりあえず「はぁ?」って逆らいたいみたいで…。まあ、対立意見もあるものだととらえるようにしました(笑)。
一同 (笑)。
――でも、新井君もよい事を言っているだろうし、反抗のしようがないんじゃない?
秋田 たとえば新井が「生活態度をしっかりしよう」と言ったとして、それ自体は大切なことなのでもちろん気をつけますけど、新井に対しては「じゃあお前自身はどうなんだ?」って感じで言うんです。
井尾 僕は外野手だから直接は分かりませんが、マウンド上で円陣組んでも、(伝令で来た)新井に「来るなよ」みたいな感じなんだよね。
新井 僕は監督から送り出されてるだけなんだけど…。
秋田 誰一人(新井の話は)聞いてなかった(笑)。
新井 監督からの指示を伝える段になれば、みんな内容は飲み込むけど、直後におふざけキャラの高垣(匠・3年)が「今その話をしとったんやて!」と僕を追い払って、円陣が解けるパターン。
服部 「対新井」に関しては、(新井と桑原を指差しながら)ここが一番…。
桑原 対抗意識はありましたよ!
新井 桑原が一番反抗してくる(笑)。僕を肯定しない。
桑原 だんだん、怒らせるのもおもしろくなってきて(笑)。
新井 後輩も僕にだけは向かってくるので、「1対全員」みたいになるんですよ。マネージャーの村井樹(3年)は唯一僕の話を聞いてくれるので、心の支えでした(笑)。
――でも、新井君は部員の満場一致で選ばれたキャプテン。夏の大会で負けた試合直後の囲み取材で桑原君も「あいつが主将だったからここまでこれた」と話していたし、みんな新井君が好きで、心の奥ではすごく信頼していることがよく分かりました!
[page_break:「2年連続1点差負けの悔しさを晴らしてほしい」 ~後輩たちへ~]「2年連続1点差負けの悔しさを晴らしてほしい」 ~後輩たちへ~
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▲座談会メンバー(左から服部、新井、井尾、桑原、秋田)
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――よい仲間に恵まれた野球部生活でしたね。
井尾 もうこのメンバーと厳しいレギュラー争いをすることはないので気は楽になりましたが、2年半一緒に乗り越えてきて、終わってみたらいいヤツばかりでしたね。
桑原 井尾とは、一緒にゴミ拾いも始めました。誰かにやれって言われたわけじゃないんですけど。朝7時に学校にきて自主練しつつ、7時半からゴミ拾い。
井尾 もともと朝練前にアップがてら学校の外周を歩いてたんですけど、ただ歩くだけではもったいないなって(始めました)。たまたま、ゴミ拾いを始めた直後の秋の試合で僕ら2人がめちゃくちゃ打てたので、「野球の神様が味方してくれたんやな」なんて話していました。
新井 徐々に他の部員にも広まっていったよね。
▲新チーム練習風景
――では最後、後輩たちにメッセージを。
服部 ピッチャーを中心にカバーし合って勝ち進んでほしいですね。新チームにもいいピッチャーが多いので。
秋田 関商工戦も、自分がゼロに抑えていれば1対0で勝っていたはず。なので、ピッチャー陣は「失点をしない」ということにこだわってほしい。越渡(俊太・2年)、長野(健二・1年)、あと新チームでもピッチャーをやるかは分からないけど、僕の練習パートナーだった日置(健人・2年)なんかも。
井尾 後輩たちには、僕たちが1点差で負けたからこそ、(練習で)無駄な1球を無くすなどして、1点をもぎとれるチームをつくってほしいと願っています。
桑原 今度3年生になる世代は、2年連続で、夏に1点差で負けた上級生を見てきている。「三度目の正直」で甲子園に行ってほしい。この夏もベンチに入っていた坪井(大和・2年)、藤田(朋哉・2年)などは、一学年下なのに、すごく盛り上げてくれました。
新井 今の時期は、チームの組織づくりが大切かな。僕は練習後、先生に毎日呼ばれ、「お前がしっかりしないといけない」と叱咤され、試合前でも泣いてしまうぐらいだったけど、その点、(坪井)大和たちならしっかりしているし大丈夫。僕たちのチームは昨秋、もう1つ(東海大会で)勝てばセンバツ当確だったのに、勝てなかった。夏はもう一本が出れば勝っていたけど、出なかった。次の世代が、僕たちの悔しさも晴らしてほしいです。
――今後、秋田君・服部君・井尾君は選手として、新井君は主務として大学の野球部に進む予定です。一方、就職する桑原君は、出身の中学クラブチームのコーチも務めることになっており、「秋田監督に選手を送り出したい」と夢を語ってくれました。座談会に登場してくれた5人をはじめとする3年生のこれから、そして彼らの思いも受け継がれる市立岐阜商野球部を、今後も応援していきたいものです。