【三年生座談会】都立片倉高等学校(東京)
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▲左から鳥巣君、小田嶋君、大濱君、小林君、金井君
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この夏、学校としても始めてのベスト4進出を果たした都立片倉。(2012年夏の大会 第94回選手権西東京大会)
結果としては、甲子園には手が届かなかったけれども、野球部としての新しい歴史を築いたことだけは確かだった。そして、自分たちもまた、新たなスタートを切ろうとしている。
そんな片倉選手たちの、この夏を振り返った思いと、3年間の野球部生活の思い出、将来への希望などをそれぞれ語ってもらった。出席者は主将としてチームをまとめた小林章君をはじめ、エースナンバーをつけた金井貴之君、五番一塁手で投手としても活躍した小田嶋冶真人君、彼らをリードした大濱夏史君、一番打者としてチームを引っ張った鳥巣裕太君の5人だ。
(インタビュー:手束 仁)
ベスト4進出を果たした西東京大会を振り返る
▲マウンドの小田嶋君
――学校としても初めてベスト4に進んで、片倉野球部の歴史に新たな一歩を刻んだのですが、その夏の大会を振り返ってみてください。
小林 正直、ベスト4まで行けるとは思っていなかったので…、東海大菅生戦(4回戦:2012年07月18日)あたりがヤマかなと思っていたのですが、それで勝って波に乗れて自分でも嬉しかったです。
――大勢の人が入った[stadium]明治神宮球場[/stadium]でプレーしてみてどうだった?
小林 あんな大勢の観客の中でやったことはなかったのですけれど、いつも通りのことができて、あがるということもなかったです。
金井 大勢の人に見られて、注目してくれる人が多くいたので、嬉しかったですね。変なピッチングはできないないと思っていたのですが、その中で自分の投球はできたかなと思っています。
鳥巣 [stadium]神宮[/stadium]は暑かったです(笑)。人工芝で、足の下から、じわじわと暑さが来たんですけれど、自分との戦いだなと思っていました。それでも自分のプレーはできたと思います。
小田嶋 準決勝の佼成学園(2012年07月26日)の試合は、ちょっとよくなかったんですけれど、[stadium]神宮球場[/stadium]は、マウンドが固くてちょっと投げにくかったという印象がありました。皆、投げやすいと言っていたのですが、自分にとっては投げにくいところでした。
▲小田嶋冶真人君(都立片倉)
――大会を通じてはどうでしたか。
小田嶋 佼成学園以外の時は、自分のピッチングはできていたし、満足しています。バッティングは、後半は打てなくなってしまいました。
大濱 プロもやっている[stadium]神宮球場[/stadium]でプレーすることができてよかったなと思いましした。あの場所で、自分が金井や小田嶋といったいい投手をリードして、相手のいい打者を打ち取れて、本当によかったと思いました。
――大会の流れとしてはどうだったのかな、やはり東海大菅生との試合が一つのポイントだったのかな。
金井 そうだと思います。初回に外の球を当てられて、盗塁されてヤバいなと思ったのですが…、センター前に抜かれたときは今井は肩がいいので、絶対アウトだと思ったのですが…、キャッチャーがボール捕っていなくて…(苦笑しながら、大濱君を見る)、先制されました。
大濱 あの日は、金井の球は高めに浮いていて、一番に続けて2回にもヒットされたときは、ヤバいぞと思いました。
小田嶋 (リリーフで)行く準備はしていたのですが、(2回は)ちょっと早すぎかなと思っていました。だけど、宮本先生の方を見たら、もう行くぞという感じでしたから気持ちの準備もしました。
金井 いつもは、そんなことないのですけれど、あの日だけは前の日に寝られなかったし、アウトカウントも間違えたりするし、マスコットバット持って打席に行こうとしたり、緊張していたということではないと思うのですが、ずっとおかしかったです。
[page_break:野球部生活の思い出]野球部生活の思い出
▲小林章君(都立片倉)
――それでも何とか勝ててベスト8で、神宮へ進めました。
金井 小田嶋に迷惑ばかりかけていたので、準々決勝ではしっかり投げなくてはと思って行きました。それは果たせたと思いました。
――それで、ベスト4にまで進んだら甲子園なんかも意識はしたのかなぁ。
小林 自分は意識しましたね。
大濱 行けるんじゃないかと思いました。(甲子園に)行ったらどうしようということも、ちょっと思いましたね。
鳥巣 ボクは、何も考えていませんでした(笑)
――結果としては、甲子園は届かなかったけれど、野球部生活を振り返ってみての思い出というのは何かな。
小林 楽しかったことというより、このメンバーで長くやれたということが一番よかったんじゃないかなと思います。
▲大濱夏史君(都立片倉)
鳥巣 ボクは、3年間の思い出としては冬に走って辛かったことですか…。でも、そんな走ってなかったですかね(笑)
大濱 前の年よりも強いなと思っていましたし、このメンバーで出来たことが、本当によかったと思っています。ピッチャーがよかったから出来たことだと思うんですけれど、自分のリードで相手を打ち取れるということの喜びを知ったことが大きかったですね。
鳥巣 よく考えて、リードしてくれたよね。それに、ストッピングとかもすごく上手くなったので、安心して低めに投げられるようになったよね。
大濱 タイプの違う投手がいましたから、試合前のブルペンでどうするかということをよく話し合っていました。金井は、試合中でも修正していくことができるので、試合中でも同じボールを使っていてもよくなるということがあったんですけれど、小田嶋はその日のいいボールと悪いボールがあって、それがそのまま行くので、どう使っていくのかということでした。
――捕手の楽しさを知ることができたということかな。
大濱 そうですね、こういうチームにいたことで3年目で、そんな楽しさを発見できました。それが一番よかったですね。
野球部生活で自分が変わったと思うこと
▲金井貴之君(都立片倉)
――金井君は2年で編入してきたということもあったんだけれど、そんなことも含めた思い出というのは多いんじゃないの。
金井 自分は、私学からの転校ですから、いろいろ経験したと思います。一度野球を辞めたんですけれど、(片倉が)自分を温かく迎え入れてくれて、ここまでやれて感謝の気持ちと嬉しい気持ちでいっぱいです。
小林 弟が自分のいたシニア(日野)でやっていて、そこに金井が来ているというのを聞いたので、(高校野球部を)辞めたのかと思って、誘ってみたんです。
金井 当初は、本当に編入できるのかなと思ったのですが、それが可能だということで素直に嬉しかったです。そして、2年の春から正式に練習に参加させてもらいました。公式戦に1年間出られないということなんかは、全然気になりませんでした。
小田嶋 入ってきたとき見たら、球が速いなと思ってビックリしました。ヤバいなと思いましたよ。
▲鳥巣裕太君(都立片倉)
――野球部生活を通じて、自分が変わったと思えることは?
小林 自分は、ピンチになると焦るところがあったんですけれど、それがなくなっていました。落ち着けるようになったというか、そういうところが変わったと思います。
金井 礼儀を気にすることと、グラウンドやトイレなど、周囲に目を配るということも高校野球を通じて学べたということは、一番よかったと思います。それと、ここへきて、窮屈な野球から伸び伸びとした楽しい野球ができるようになって、環境を変えられたことが自分にもよかったと思います。
鳥巣 ボク自身の成長は、体ですかね(笑) 入学した時はガリガリだったんですけれど、体がしっかりしてきたと思います。
小田嶋 ボクは、性格が変わったと思います。入学した頃は、物事を考えられなくて周囲に迷惑ばかりかけていましたけれど、2年生の半ばくらいから、自分で考えてできるようになったかなと思っています。
大濱 ボクはミスをしたら、下を向くということがあったのですが、そのことを仲間から指摘されて、自分でもそれを変えていこうと思っていました。だから、捕手は皆に見られているのだし、自分が暗くなったらチームも暗くなってしまうと思って、ミスをしても明るくいられるように意識しました。そして、辛い時でも、明るくいられるということができるようになったというのが、自分にとっても成長したことだと思います。
[page_break:将来の夢]将来の夢
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▲それぞれ笑顔で将来の夢を語った片倉の3年生たち
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――最後に将来の夢、希望を聞かせてください。
小林 現役の選出としては甲子園に行けなかったので、先生になって、甲子園へ行かせるようなチームを作れるようになりたいと思っています。そのために、大学へ進んで、教職もとって野球もやろうと思っています。
金井 自分としては、小さい頃からの夢だったプロ野球選手というのがありますから、(プロ)志望届は出そうと思っています。指名がなければ、大学で続けさせてもらえたらと思っています。とにかく一度、プロの世界でチャレンジしたいと思っています。それでやってみて、プロの世界でダメだったら、もう一つの考えとして、調理人になりたいという希望はあります。
鳥巣 将来のことは、あまり決めてないですけれど(笑)、野球というか、高校野球に関わることをしてみたいと思います。あと、金持ちになりたいです(笑)。
宮本監督 高校野球に関わっている人は、金持ちはいないよ(笑)
小田嶋 自分は、大学で野球を続けて、その先ではプロでやれればという気持ちはあります。上では、ピッチャーとしてやりたいと思っています。
小林 ボクは高校の先生を目指して大学の教育学部へ進んで、監督として甲子園を目指したいと思っています。これまで、こうやって捕手やって経験して、学んだものを教えていきたいと思っています。
宮本監督が語る“都立片倉というチーム”
▲宮本先生(都立片倉)
――最後に、宮本監督から、このチームへの思いをお話しいただければと思います。
宮本監督 このチームができたときに、自分が今まで高校野球に関わってきた32年間の中でも、指折りのチームになるかなという気は、最初から感じていました。ただ、それが秋の都大会で文京に負けて(2011年10月16日)、負け方がよくなかったんで、それをずっと引きずっていたんですよ。それが、春の都大会でも当たることになって(2012年04月05日)、その試合がすごく楽しみだったんだけれど、秋とベンチの雰囲気が違っていたことで、チームの充実を実感しました。
小林 そうですね、春は自分たちでも向かっていく雰囲気がありました。
宮本監督 春は、生き生きとやっているなと思ったから、あれでチームが完全に変わったと思いました。夏を戦える雰囲気ができたと思いましたね。
――それで、シード権を取ることになりました。
宮本監督 そうです。ただ、夏へ向けては、それで満足するのではなくて、それからもガチャガチャいじるぞということにしました。具体的には、一番と三番入れ替えたり、金井と小田嶋を何回も入れ替えて継投させてみたり、ショートとセカンドを入れ替えてみたりという形の中で、まだ安全にできたチームじゃないよという意識ですね。夏は、安全にということで慎重に行くのではなくて、勝負しなくちゃいけないかなという気になれました。それが、大きかったかと思います。
――都立片倉高校の皆様、ありがとうございました。秋の新チームも、ぜひ期待しています!