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福岡ソフトバンクホークス 攝津正 選手のアマチュア時代を教えて!

2013.02.26

福岡ソフトバンクホークス 攝津正 選手のアマチュア時代を教えて!

 「何も咲かない冬の日は下へ下へと根を伸ばせ」
 これは元・三洋電機副社長後藤清一氏(故人)の言葉である。

 秋田経法大附(現・明桜)で攝津正を指導した鈴木寿氏(現在は秋田修英で監督)は、「攝津は器用じゃないので練習で積み上げてきた選手」という。

 また、JR東日本東北の前監督・阿部圭二氏も「努力系だったことは確か」と断言する。

 攝津はこの春でプロ5年目を迎える。大きな落差のあるカーブを大きな武器とし、決め球のシンカーも冴える。豪速球はないが、個性の光る投球でWBCの代表候補に名を連ねた。

 過去4年を振り返ると、ルーキーの2009年には70試合に登板。34ホールドをマークし、最優秀中継ぎ投手と新人王に輝いた。翌2010年も71試合に登板し、2年連続で最優秀中継ぎ投手。オフには年俸4500万円から倍の1億円を提示されたが、「『倍あげてもいい』と言われたんですけど、3年やって一人前だと思うんで」と断って9500万円で契約した話は有名だ。

 3年目からは中継ぎから先発に転向したが、それでも14勝をマーク。そして4年目の昨季は17勝を挙げて最多勝、勝率.773で最高勝率。そして、投手にとって最高の栄誉である沢村賞が贈られた。

 結果を見れば順風だろう。眩しいくらいのプロ野球生活だ。そんな攝津は昔からスーパースターだったわけではない。指導者が口をそろえるように、コツコツ、コツコツ積み重ねてきた努力の賜物が形になっているのだ。

強いメンタルをみせた高校時代

 「攝津は中学の時、公式戦で1勝もしていないんですよ」というのが鈴木監督。実績という点では劣ったが、「力強い投げ方だった」と振り返る。

 当時、秋田県には硬式野球チームはなく、軟式野球部出身ばかり。そのため、高校入学後の約1ヶ月間は焦らずに、ランニングや体幹など、トレーニングの日々が待っている。キャッチボールやピッチングは5月から行われる。
 高校時代の摂津投手はといえば、投手として、ちょこちょこ登板機会は得ていて、夏にはベンチ入りを果たし、秋からは外野手兼投手として主力となった。  

 特別、打力があったわけではないが、鈴木監督はこう説明する。
「中学はそんなに強いチームでなかったので、(摂津は)試合経験がありませんでした。だから、ピッチャーでなくても、試合に入れておきたくて外野手として出していました」

 ブルペンには毎日入っていた。球数は本人任せだったという。冬場は室内練習場でサーキットトレーニングなどに励みながら、50球以内の制限を付けてブルペン投球も欠かさなかった。

 その摂津が、投手に専念したのは2年秋からだ。主戦として地区大会から奮闘した。この秋の公式戦は12試合で10完投。88回1/3を投げ、防御率1.83を記録している。

 鈴木監督が印象深いというのが東北大会初戦、仙台戦だ。
「2対1か1対0の場面で、1点リードしていた9回裏に攝津が同点ホームランを打たれたんです。(勝利まで)あと1人というところで。試合には、延長で勝ったんですが、打たれた時に攝津はベンチを見てニヤッと笑ったんです。彼はショックを受けていませんでした」

 鈴木監督は攝津の高校時代を振り返り、何度も「タフでした」と言った。
「たまに腰が痛いとか言ったことはあったけど」(鈴木監督)、長期離脱をしたり、試合に影響したりするような故障はしなかったという。そして、並の高校生なら、さぞガックリくる場面で笑えたように、心も強かった。

 この後の試合も延長戦をくぐり抜けて準決勝で酒田南を4対1で撃破。決勝で福島商に3対6で敗れたものの、選抜大会への切符を手にした。結局、攝津が甲子園の土を踏みしめたのは、この3年春の選抜のみである。

「高校の頃は、今みたいにテークバックはコンパクトではありませんでした。コントロールもよくなかったですね。社会人に行って、つかんでいったみたいです」(鈴木監督)

 3年夏は調子を落とし、大学などから声はあまりかからず、JR東日本東北で社会人野球の道を歩むことになる。当時、JR東日本東北にはスカウトがいて、その目にとまっていた。

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[page_break:転機となったJR東日本東北時代]

転機となったJR東日本東北時代

 入社1、2年目は登板機会は、ほとんどなかったという。攝津が社会人3年目の夏にチームの体制が大きく変わった。内海利彦氏(現・宮城県野球協会理事長)が監督に就任し、のちに監督となる阿部氏が投手コーチとなった。阿部氏が振り返る。

「攝津の名前は聞いたことがあったけど、実際に見たことはありませんでした。初めて練習を見た時は、ずば抜けて活躍する感じがなかったのは事実。ただ、JRを背負って行く人材になるなとは思いました」

 フォームがまだ固まっておらず、自分に合ったフォームを模索中だったが、体制が変わったばかりの中、10月の日本選手権の東北予選では地元・秋田で優勝投手になった。

 「チームの柱として優勝し、やっていけるという自信になったのではないか」と阿部氏。また、この頃、東北地方の社会人野球界ではJTが廃部になったりNTT東北が解散したりと大きな動きがあったが、それも攝津の糧になったという。

▲JR東日本東北での練習風景

「JTやNTT東北から移籍して来る選手がいました。JTからきた福家はランニングが好きで、よく一緒に走っていました。NTT東北から来た植松は理論を持っている選手でした。昔からいるJRの生え抜き選手は、よく投げ込む。新しい血が入って、それを摂津も体験し、指導してもらう中で、いろんなことに取り組んでいったように思います」(阿部氏)
 体制が変わるまでは、1日置きだったピッチングは、毎日に変わり、1日に200球や300球を投げ込む日もあった。キャンプでは、6日で1000球というノルマを攝津自身が作って投げ込んでいたという。

「攝津は自分を知っていました。普通はアウトロー中心の練習をするんですが、攝津の場合はね、逆だったんです。インローから。そっちの方にコントロールがあった。アウトコースは開き加減で、手で操作してコントロールしようとするから開いちゃう。それを修正するためにインコースを多めに放っていたというところがありました。普通の選手と入り方が違う。アウトコースにコントロールがないなとか、不安だなとか、バラけているなという時はインコースで練習していきました」

 高校時代から大きかったというテークバックも徐々に小さくなり、無駄が省かれていった。軸がぶれることがあったが、ノーステップで体重移動だけで投げたり、捕手からすぐに返球してもらってテンポ速く投げる連続投げをしたりして修正。加えて、ラントレーニングや週に2、3回のウエイトトレーニング。捕手出身の阿部氏が攝津の投球を受けた時、
「ほとんど構えたところに来た。ほかのピッチャーはワンバウンドしたりするんだけどね」と言うほど自信を持つ制球に、さらに磨きはかけられていったようだ。

「シンカーが威力を発揮してから良くなった。スライダー、縦のカーブもコントロールされていった」(阿部氏)と、現在の基礎が徐々に作られていった。
 無口で闘志を内に秘めるタイプ。強気で負けず嫌い。自らの不甲斐なさからグラブを叩き付けることもあったというが、「それを押さえないといいピッチャーにはなれない。プロにはなれない」と諭し、「『平常心』を合い言葉にしました」と阿部氏。

 しかし、摂津は熱さの中に冷静さも兼ね備えていた面もあった。
「平気でフォアボールを出すんですよ」と阿部氏は笑う。コントロールがいいがゆえに、カウント3ボール0ストライクや3ボール1ストライクとなり歩かせると、「次のバッターで勝負しよう」と気持ちを切り替えていたという。
「状況を判断して、無駄な労力は使いませんでしたね。年もとっていましたから、試合経験で身に付けたものでしょうね」(阿部氏)。ストライクを投げてファウルされても、球数を増やすといったことはなかった。

 
こうして、阿部氏が投手コーチをしていた3年間のうちに、「プロにいってもおかしくない」と思えるほど成長していった。

「ピッチングで踏み込んだ時に、バーンって音がするんですよ。ほかの選手は鳴りません。体はぐらつかないし、強くなったなと」(阿部氏)。
以前は上体だけで投げていたが、スパイクの歯が地面をがっちりと噛み、力が体中を走って指先まで連動するようになっていた。しかし、プロから声がかかることはなかった。

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[page_break:やがて大きな花が咲く]

やがて大きな花が咲く

「摂津は無駄な労力を使わないプレイヤーだった」

 2007年に運命は動いた。9月にIBAFワールドカップ台湾大会の日本代表候補選手の選考合宿で練習試合相手を務めたJR東日本東北。この試合で攝津は3回を無安打無失点に抑え込んだ。翌日にはお声がかかり、本番では予選リーグの第1戦、対南アフリカで17奪三振と快投。登板した4試合で1つも土を付けることなく、計28回1/3で1失点と銅メダル獲得に大きく貢献した。

 そして、社会人野球8年目の2008年ドラフトで福岡ソフトバンクから指名を受けたのである。順位は5位。
 地元では摂津のプロ入りをメディアは大きく取り上げたが、全国的にはまだ無名だった。だが、1年目から頭角を表し、現在に至っている。

 プロで日の丸を背負うまでに成長した教え子に恩師は期待を込めている。
「負けん気、勝つ気、気を出してほしいね。復興といってもまだまだ。秋田で育ち、仙台でプレーしてきたわけだから、東北人に元気を与えられる選手として活躍してもらえれば」(阿部氏)

 高校時代の恩師・鈴木氏も、
「すごい練習をして、人間的にも立派になっています。(WBCでは)自分のピッチングをしてほしいですね。僕らは応援するだけ。攝津らしいピッチングをしてほしい。先発でも中継ぎでも大丈夫でしょう」

 攝津のアマチュア時代を指導者に聞いていて思い浮かんだ冒頭の元・三洋電機副社長後藤清一氏(故人)の言葉「何も咲かない冬の日は下へ下へと根を伸ばせ」には続きがある。

 やがて大きな花が咲く

 制球と緩急を磨き続けた攝津。アマチュア時代に伸ばし続けた根っこが強靭なものだったと、この4年間の成績が物語っている。指導者の話しを聞いていると、きっとまだ攝津にとって「大きな花」は咲いてはいないだろう。

 WBCでも、シーズンでも、高みを目指して、ファンを喜ばせてくれるはずだ。

(文・高橋昌江

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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