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福岡ソフトバンクホークス 大隣憲司 選手の高校時代を教えて! 京都学園(前監督) 堂 統 先生

2013.02.06

阿部慎之助 選手(読売ジャイアンツ)の高校時代を教えて! 安田学園(前監督) 中根康高先生

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京都学園(前監督) 堂 統 先生

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 京都市右京区花園にある京都学園高校野球部グラウンド―――。
 監督室には、ソフトバンクのマスコットの人形が飾られていて、左胸には「28」の番号とともに、サインが書かれてある。
 さほど難しくなさそうなそのサインには「KENJI」とある。
 昨シーズン、プロ入り6年目にしてキャリアハイとなる12勝を挙げ、防御率2、03の好成績を残した。同校・OBの大隣憲司は、今や、球界を代表する左腕投手である。WBC日本代表候補にも選出され、大学時代に続く、日の丸を背負う。

▲監督室に飾られた大隣憲司選手のサイン

 「よう言いますよねぇ。○○選手を育てたって。大隣は育てたんちゃいますよ。ただ一緒に野球をやっていただけですよ。ほんまにすごい選手いうんはね、勝手に育つんですよ。そう思いませんか?」

 この部屋の主、堂 統前監督である。京都学園高を20年に渡り監督として率いた。今は、前部長で実弟の弘氏に監督職を譲ったが、大隣の高校時代に広く影響力を与えた人物である。自身は「育てた」ことを否定するが、ここを巣立っていったのは紛れもない事実なのである。何より、この言葉がその証である。

「あんまり帰ってくることはないんですけど、このオフは帰ってきました。奥さんを連れてね。大隣自身、いい成績を残して胸を張って母校に来たい、と。そういう風に思っているんやと思いますよ」

思いがけぬ登板でみせた快投

▲「ボーイズ時代から大隣を注目」と語る堂先生

 堂の大隣との記憶は中学時代まで遡る。むろん、最初は堂の片想いだった。

「彼が当時所属していたボーイズリーグの京都ライオンズの2年生のころから知っていました。投手としての印象はなく、バッティングが良かったんですよね。ウチとしては、バッターとして考えていました。ただ、大隣はピッチャーもできる事も知っていたので、両方やってもらおうという気でいました。でもね、本人の意思は他の学校に行きたかったんです。それが、不合格になったというのが僕の耳に入ってきて、大隣のことは2年生のころから知っていたし、ええもん持っていたんでね、本人にうちで頑張ろうという気持ちがあるんやったらという話をさせてもらったんです」

 入学が叶ったとはいえ、当時の大隣に掛けられていた期待は投手としてではない。中学の監督からの報告も投手としての可能性もさほど大きいものではなかったし、ボテっとした体格の上、走るのが苦手で肩やひじの痛みをすぐに訴える大隣に、投手として見込むのは無理があった。

 ところが、事態はひょんなところから急変する。
「彼が1年の春の府大会の時に、ウチが序盤で府立高に負けたんですよ。それで、僕がカチンときて、当時の上級生のピッチャー陣にお灸を据えたんです。『お前らは、使わん。ベンチから外れろ』ってね。ところが、その時ってGWの真っ最中だったんです。練習試合が組まれていた。といっても、そう言った手前、3年生を試合に出すわけにはいかんし、練習試合は組んでいるしで、そう思ったところ、投手としては練習してなかった大隣が頭に浮かんだんですよ。『お前投げられるよな、いけ!』って」

 すると、ほとんど投手として練習をしていなかった大隣が快投を見せたのである。オールストレートで勝負しながら、当時、力のあった東山高打線を抑えてしまったのだ。
「驚きましたね。まず、コントロールがよかった。相手チームには、いい打者がいっぱいいたんですけど、物怖じせんとインコースに投げるんです。表情が全然変わらないんですわ。度胸はあるし、コントロールはええし、これはええなと思った。そこから練習試合のメンバーにも入れて、夏の大会は『18』をつけさせましたね」

▲京都学園の投手陣・練習風景
(写真は京都学園エース佐藤君)

 その夏の大会、大隣は敗戦投手となる。延長戦にもつれた大谷との試合で、一死二塁からマウンドに立ったのだ。堂の思惑通り、そんな場面でも大隣が物怖じすることはなかったが、かすかに甘く入ったボールを捉えられて、サヨナラ負けを喫した。

 当時のことを大隣が話していたことがあった。
「コントロールって大事やなって。甘いところにいったら行かれるというのが分かった試合でした」というのが彼の回想だった。
 それ以降、大隣はコントロールを意識するようになったという。
堂の言葉で繋ぐ。
とにかく、大隣に感じられたのは、コントロール。低めに投げようという意識は高かったですよね。ブルペンで投げる時も、低めを意識して投げていたし、セットポジションをするにしても、ただセットで投げているんじゃなくて、試合をイメージしながら投げていました」
 とはいえ、それからの大隣は決して順調ではなかった。1年夏が終わると、ひじの痛みを訴えて戦線を離脱する。堂は「中学時代の監督からも、すぐ痛いって言うって聞いていましたけど、高校時代はそういうことが多かった」と振り返る。

[page_break:0-7のコールド負けから近畿大会優勝までの道のり]

0-7のコールド負けから近畿大会優勝までの道のり

▲大隣選手の高校時代を振り返る堂監督

 大隣が戦列に戻ってきたのは、2年の春の京都府大会。ここで、のちにオリックスのセットアッパーとして活躍する平野佳寿と対戦したのである。

「完ぺきにやられましたね。6対0だったと思うんですけど、完ぺきにやられた。大隣も頑張りましたけど、平野君は良かった。あの時に、大隣に言ったのは、『平野君はこの試合までに3連投してきて、4連投目であんなピッチングをしたんやぞ。ピッチャーは投げなアカン』と伝えました」

 だが実際、大隣の意識が変わり始めたのは、2年の秋になってからのことだった。秋の府大会での敗北が起因になっている。2年夏を終え、大隣が文字通りのエースとなった当時は、堂も「頂点が狙える」と期待感を持っていた。練習試合で大隣が打たれることがなく、三振をバッタバッタと取り始めていたからだ。

 ところが、府大会の準々決勝・立命館宇治にボコボコにやられた。0対7のコールド負け。大隣も打ちこまれた。堂は言う。
「あの頃までは、どちらかというと、チームも大隣に遠慮していたところがあったんです。でも、大隣が打たれたことで、みんな大隣にも厳しく言うようになった。もちろん、大隣もチームメイトにも声を掛けていましたし、チーム全体が変わろうというのがあったんです。それからは、めちゃめちゃ練習しましたね。タイムをとってのトラック走や7キロの山を走るトレーニングというのを全体でやるんですけど、大隣だけは、練習が終わってからも残して走らせました。僕がストップウォッチを持って、俺がええというまで走っとけ、と。泣きながら走っていました」

 冬場の成果は如実に表れる。それは足腰が鍛錬されたことで球が変わり始めたのだ。さらに、大隣は、当時から自分で試行錯誤しようという姿勢があったのだという。
「スライダーを投げるためには、どういう肘の使い方をしたらいいか。自分で編み出し始めましたよね。小さいフォームで投げたら曲がりやすいというのをつかんできた。本人の持っている感覚なのでしょうね。もともと、大隣は器用な方ではないので、あまりフォームのことを言うとよくないと思っていました。自分で肘の使い方を練習して、変化球を投げられるようになったのが自信につながったと思います」

 3年春、京都府3位で近畿大会に出場すると、京都学園は頂点に立った。大隣は3試合全てで完投勝ちしたのである。右打者のインコースにストレートを投げ込み、左打者には外のスライダーで勝負していく。ドクターKと騒がれるようになった。
 しかし、彼の高校生としてのキャリアはこれが最高だった。近畿大会の後、肩に異常を感じた大隣は投げることができなくなったのだ。夏の大会には登板をするにはしたのだが、130キロにも満たない程度までにしか回復せず、ベストパフォーマンスは3年春の近畿大会が最後となった。

[page_break:大隣選手から学んだ「研究心」]

大隣選手から学んだ「研究心」

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先輩の背中を追う京都学園投手陣

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 高校卒業後に進んだ近畿大では、「神宮で勝てるストレート」と太鼓判を押した榎本保監督に見出され、メキメキと成長。ストレートの球速は150キロまで達した。ドラフトでは、多くの球団が獲得合戦を繰り広げる中、ソフトバンクへ希望枠で入団した。

 入団後はプレッシャーもあった。大学時代は剛腕として知られ、そのイメージばかりが先行していたからだ。2年目に11勝を挙げたことはあったが、それ以降は、ほとんどが不本意なシーズン。結局、大隣が復活を見出したのは、原点に戻ることだった。
 堂はこのオフ、大隣から復活の要因を聞いたのだという。
「大学の時に150キロが出て、抑えられていた。プロに入って剛速球というイメージで期待されて入ったけど、打たれる。自分の自信はなくなっていったそうです。でも、それでも『おれは、大学の時にはこれだけ抑えられたと』いうのが消えなくて力勝負になってしまっていた。それがある時から自分の原点は何かを考え始め、それは150キロで相手を抑えることではなくて、低めのコントロールだと思ったのだそうです。こう投げたら低めに行く。このタイミングで変化球を投げたら、空振りを取れるというのが分かってきて、プロでやっていく自信が付いてきたといっていました」

 原点を取り戻しての彼の復調に、堂自身も表情をほころばせる。改めて、堂は大隣との3年間をこう振り返った。

「さっきもいいましたように、大隣は育てたんじゃなくて、勝手に育ちました。ただ、彼と一緒に野球をして学んだことは、感覚とか研究心ですよね。こうやって投げれば低めにいくとかいうようなコントロールは、その子が感覚をつかめないと難しい。フォームがあーだ、こーだと指導するだけでは、大隣のようなピッチャーは作れないのかなと思います」

 大学時代の大隣でひとつ思い出したことがある。それは、彼が成長のきっかけになった一つが先輩の糸井嘉男(オリックス)のピッチング練習を見てからだと話していたことだ。

 「ある時に、練習が終わったのに糸井さんのピッチング練習をブルペンで見ていたんです。すると糸井さんや大学生のピッチャーって、足を上げてついてから投げるまでに間があるなって思ったんです。それまでの自分だと、足が着いてからすぐに投げていたんですけど、糸井さんや先輩には間があった。あれを僕も意識するようになったら、球が速くなったんです。あの時、ピッチング練習を見ていなかったら、そうは思わなかったと思います」
 高校時代からも、大学時代も、そして今も大隣にあるのは、研究心。それを彼自身の感覚で、モノにしているのだ。

 (文・氏原英明

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この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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