高川学園の野球ノート【第2回】「寮監督と、球児たち 毎日綴った甲子園への思い」
8月9日発売の話題の新刊!!累計15万部突破の『野球ノートに書いた甲子園4』の発売を記念して、この夏、甲子園初出場を決めた高川学園の野球ノートの物語をお届け中!
今回は、第1回「甲子園初出場を決めた高川学園の野球ノート! 」の続きをお届けします!
記事は2013年刊行の「野球ノートに書いた甲子園」に掲載中!
寮監督と、球児たち 毎日綴った甲子園への思い
高川学園野球部 野球ノート(高川学園高等学校)
■11月16日(金)
一年生の態度が凄く目につきました。
中林はこう述懐する。
「なんというふうに表現したらいいか分からないんですけど、勝つために、いまの2年生(当時の1年生)の練習への姿勢に物足りなさを感じたことがあって、それを書いたんです」
そのときの、中野寮監のコメントはこうだった。
後輩は、先輩の姿を見て育つ
「実際に後輩がそういう雰囲気になっているのは、自分たちがしっかりしてないからなんだと気づかされました。しっかりと取り組んでいるつもりでも、結局はしっかりやっていると思っているだけなんだ、と。だから自分たちがもっと目標となるような背中を見せて、それをうまく伝えていかなければいけないと感じました」
中野寮監の言葉は、中林に強く突き刺さり、副キャプテンとして自分がどうあるべきか、チームが勝つためにはどういった行動をしていくべきなのか、という問題意識を高めさせた。
グラウンドでのコミュニケーションが、野球ノートによってさらに深まることもあった。冬の猛練習を乗り越え、チームも上り調子になってきた4月、中林がチームメイトを強い口調で叱責したことがあった。それを見た中野寮監は、グラウンドで中林に話をする。
「そのとき言われたのは〝俺はお前が怖いんや〟ということでした。〝言葉にするということは武器でもある、そういう口調で言うことでチームから孤立してしまうのが怖いんだよ〟というふうに言われて。でも、僕はチームが勝てるならば嫌われてもいいという覚悟があったんです。だから、それを智弘コーチ(寮監)に伝えました」
中野は当時のことを振り返ってこう言う。
「中林は、大阪出身で口調がきつく感じられることがありました。言っていることは間違いじゃないんですけど、指導するときに威圧があるんじゃないか。もちろんそれも大事なことなんだけど、言い方には気をつけよう、ということを言ったと思います」
そんなやりとりがあった夜、中林は野球ノートにこう書きこんだ。
キャプテンと副キャプテンは嫌われるものと
自分もそう思ってやってきました。
どんだけ自分が嫌われようともそれが
チームの成長、向上の為なら何も思いません
理解してくれる人は、ちゃんと理解してくれるんで!!
中野寮監の指摘はよく分かる、でもそれ以上に勝つためであれば、念願の甲子園のためであれば嫌われることは厭わない―。中林は、その思いを改めて中野寮監に訴えたのだ。
決勝の翌日、中林選手と中野寮監のやりとり(高川学園高等学校)
そして中野は、ノートにこう書いた。
僕は達成の味方やで!!
実はこの日のノートには中林なりの中野への思いも込められていた。
「智弘コーチがキャプテンをされていたときの思いを話してくださったことがありました。そのとき智弘コーチはチームの先頭に立ち鼓舞しようと一生懸命やられていたらしいのですが、ふとチームを振り返ったときに、チームメイトの方がついてこない、という経験をした、と仰られました。あのとき、グラウンドで僕に指摘してくださったのは、きっと僕にも同じような思いをしてほしくない、と考えてくださったからなんじゃないかと思ったんです。でも、あのときはチームの雰囲気もすごくよかったし、みんながついてきてくれていた。だから大丈夫です、心配しないでください、という思いを伝えたかった」
こうした、グラウンドでは終わらない中野寮監とのやり取りこそが、中林を育て、チームを育てた。
「中野先生は本当に僕のことをよく理解してくださるので、思ったことが書けます。それが、僕の財産になっていると思います」
日本一のグラウンド整備をする男
もうひとり、毎日野球ノートを書き続けている選手がいる。2年生ピッチャーの太田 清貴だ。
夏の大会のメンバー入りは叶わなかったものの新チームになり、今年こその思いでいる。そんな彼の特筆すべき姿勢、それがグラウンド整備にある。
練習や試合が終わると、どんなチームでも「トンボ」と呼ばれる器具でグラウンドをきれいにならしていく。スパイクやボールの跡で荒れたグラウンドを元通りにするわけだ。高川学園もそれは同じ、練習が終わればトンボをかける選手がグラウンドに散らばる。そのなかで、「トンボ」を使わず「手」でグラウンド整備をしているのが太田だった。
ホームから一塁ベースの間、バッターが何度も駆け抜けたその場所を太田は両手で右に左に、まるでテーブルを拭くように丁寧にならしていく。また、ピッチャーマウンドでは、大きく穴のあいたマウンドに手で水をやり、こねて、きれいに固めていく。ユニフォームは練習が終わったあとよりもっと泥にまみれていた。
きっかけは、中野監督からもらった話だった。
「昼のミーティングというものがあってそこで、去年(2012年)の10月くらいに〝日本一〟というテーマについて中野先生からお話がありました。いろんな〝日本一〟についての話を聞いたのですが、そのなかで〝日本一の整備〟という、松山商業高校さんのグラウンド整備の話を聞きました。それから僕も〝日本一の整備〟をしようと思って続けています」
手による“日本一”の整備を行う太田選手(高川学園高等学校)
そう語る太田は、当時の野球ノートにこんなことを書いている。
■10月16日(火)
今日の朝に智弘先生に〝日本一のボール拾い〟〝日本一のグラウンド内ダッシュ〟っていうことを言われて、常にそういう事を心がけて、みんながやらなくても自分はやるっていう気持ちを持って取り組みます。あと自分は、日本一の整備のやり方を教えていただいたので、その事を続けていきます。
また数日後には、こうも綴っている。
■10月30日(火)
今日昼に、マンネリ化していないかという話で、自分も今、日本一の整備をしていて、それもマンネリ化せずにやっていきます。日本一の整備の話があって、どこに行っても手で整備をするところは聞いたことがないし、見たことがないし、どこに行ってもとんぼがあるところしか見たことがないので、自分は日本一の整備をしているなと思っています。
これを智弘先生もやったことがあって、今も自分は日本一の整備のやり方として教えていただいて、中野先生も長年野球をやってこられて言うってことはそうだと思います。
以来、すでに一年近く、太田は来る日も来る日も手で整備をし続けている。中野寮監はその姿勢に感心した。
「太田は監督から〝手でやるグラウンド整備が一番伝わる〟という話を聞いて以来、ずっとそれをやり続けています。ノートも毎日コツコツと書く。そうやって、些細なことでも続けられる子というのは、いつかどこかで花開くと思いますね」
太田のノートで中野寮監が鮮明に記憶している記述がある。
「中野監督が、2年生のピッチャーがなかなか出てこない、と発破をかけていた時期がありました。そうしたら、その日のノートに〝悔しいです、僕が絶対やってやります〟と書いたことをよく覚えています」
どちらかといえば、器用に言葉を紡ぐタイプではない太田。そんな彼が、ノートのなかでは実に雄弁で、自分の思いを率直に表していたのだ。
その太田は、この野球ノートについてこう語る。
「智弘先生が、毎日言葉を返してくれるので、そこでなにか勉強になることがあればと思って毎日やっています。悩んだときなどには、見返すこともあって、そうするといろいろ な気づきがあってとてもためになるんです。だから、続けることは全然苦ではないし、これからも自分のためになるだろうと思ってやり続けています」
(第3回に続く)