5分間の散歩
第7回 5分間の散歩2011年07月29日
両チームの補助員が、懸命の修復作業を行なっている。スポンジで水を吸い取りながら、ぬかるみには土を入れ砂を撒く。大雨はすでに上がったものの、球審の中断宣告からは2時間が経過しようとしていた。
一塁側の延岡学園ベンチから、重本浩司監督が出てきた。
作業に従事する部員に声を掛けながら、上空を見つめる指揮官。最初はアンツーカー付近にいたのだが、次第に走行ラインに沿って大きく小さく内野を歩きながら、時折ふと立ち止まってみる。
静かに歩き続ける重本監督の脳裏には、この試合に関する様々な情報が目まぐるしく駆け巡っていた。
まずは相手先発・吉田奈緒貴の状態だ。続いてこの日のボールや配球の傾向、初回に記録した2点とそのプロセスについて、中断直前の一死一・三塁、カウント1ボール1ストライクという状況などなど……。
初回の延岡学園は、二死から3番・長池城磨が四球で出た後、4番の濵田晃成が内角に切れ込んでくるスライダーを右線に引っ張って二塁打とし、これで二死二・三塁となった。そして5番・岩重章仁への2球目が外角に鋭く急降下するスライダー。これが暴投となり、三走・長池城に続いて二塁から濱田晃が好走塁で2点目を陥れている。
立ち上がりの吉田は直球、スライダーともに抜けが目立った。中断直前に許した一塁走者も、抜けた直球での死球によるものだったのである。
これらの伏線から「やっぱり思い切って腕は振れないのではないか……」と、二塁ベース後方で作業を見守る重本監督は読んだか。ましてや雨中断からの再開だ。繊細な吉田が足元や指先を気にしながら、まずは様子見の一球を投じてくる公算は大である。これが甘く入ってくれば、思いきってのヒッティングもある。
しかし、打席の大平勇己は9番打者だ。その打力を信用していないわけではないが、重本監督が「宮崎で一番力があると思っている」という宮崎商を相手に、点は取れる時に確実に取っておかねばならない。そして、準々決勝まで3試合で34 得点を挙げている強打線に対して、試合の主導権をどうしても握っておく必要があるのだ。そのためのベストな選択とは何なのか。
作業中の部員に声を掛け、手を貸しながら、気がつけば重本監督は三塁付近に立っていた。
サンマリンスタジアム宮崎のインフィールドには芝生が張られている。雨は上がったが、この部分は湿地帯のような緩さのままだ。一方、一塁側・三塁側のライン上は黒土である。中断前までは大きな水溜りができていたこの一帯には、新たに大量の砂が撒かれていた。2週間にわたり太陽熱によって固められていたそれ以前のコンディションとは打って変わり、ライン周辺は湿気を帯びた新土がふわりと盛られているのだ。
重本監督はうつむきながら、三塁ベースから本塁方向へ。途中、ライン付近で土を踏み固めている部員に声を掛けながらも、周囲に気づかれないように、さりげなく足踏みを行なってみた。
(柔らかい……)
三塁走者の走行ラインは完全に乾いてはいなかった。それ以上に、ダッシュをかけるべき投手、三塁手、一塁手の足元、ダッシュライン上は、さらに不安定だ。
「ふかふかの土、なんとかなる」
ベンチに戻る手前で、作業が続く本塁ベース付近を軽く振り、すぐにベンチ裏に姿を消した重本監督。打つべき手は決した。
「スクイズだ」
ゲーム再開。「警戒していた」という宮崎商の内野陣だったが、大平は相手バッテリーが中途半端に突いてきた初球の内角直球をいとも簡単に三塁前に転がし、余裕を持ってこの奇策を成功させたのである。
この1点が序盤の優位を決定的なものとし、その後の4連打でさらに4点を追加するに至る。
時間にして、約5分間程度のものだったか。自ら周到に内野を一周し、再開後の初球で試合の流れを掴んでみせた重本監督。観客の面前にありながら誰からも気づかれることなく、2時間9分の中断を支配してみせた若き奇術師が、チームを2年連続決勝の舞台へと導いたのだった。
(文=加来 慶祐)