負傷者が多い中で際立った関東一・井坪の存在

井坪 陽生(関東一)
今年の3年生はコロナ禍の中で入学し、入学式ができなかったり、学校行事が中止になったりする中で、高校生活を送った。それとは直接関係ないかもしれないが、選手、とりわけ投手に負傷者が多く、公式戦の経験を積みながら、素質を伸ばしていった選手は少なかった。
その代表が東海大菅生の鈴木 泰成投手(3年)である。昨年のセンバツでの力投をみて、その後の成長が楽しみであったが、昨年の6月にヒジを痛め、手術を経て本格的に復活したのは今年の夏だった。投球は魅力的だったが、実戦での体力が不足していたのか、西東京大会の決勝で力尽きた。若林 弘泰監督が「世代ナンバーワン」と語る逸材。大学4年間で、その実力を示してほしい。
八王子の星野 翔太投手(3年)も1年の秋から期待されていたが、2年生の秋以降、伸び悩んだ。新チーム発足時はエースであった日大三の矢後 和也投手(3年)も、この春と夏は負傷により登板できなかった。その一方で、左ヒジの疲労骨折でリハビリ期間があった二松学舎大附の辻 大雅投手(3年)は、3年生になって復帰し、最後の夏に花開き、育成で広島に入団した。
東京の高校球児で、ドラフトで支配下選手として指名されたのは、阪神に3位指名された関東一の外野手・井坪 陽生(3年)だけだった。俊足で長打力があり、投手としても144キロの速球を投げ、身体能力の高さは際立っていた。
凄みを増す二松学舎大附・市原監督の人材活用術

布施 東海(二松学舎大附)
甲子園には春は國學院久我山、二松学舎大附、夏は二松学舎大附、日大三が出場した。センバツで國學院久我山がベスト4に進出した。東京の高校では10年ぶりの快挙である。しかし準決勝では大阪桐蔭(大阪)に完敗した。
一方、二松学舎大附はセンバツでは初戦で敗退したが、夏は3回戦に進出し、大阪桐蔭に敗れたが好試合を繰り広げた。善戦の立役者は、秋やセンバツではエースであったが、夏は東東京大会から登板機会が少なかった布施 東海投手(3年)であった。思い当たるのは春季都大会の準決勝と決勝戦である。市原 勝人監督は、準決勝の日大三戦で当時は控えの辻を先発させ、決勝の関東一戦ではエースだった布施を先発させた。関東大会出場がかかり、夏は対戦しない西東京の日大三との準決勝にエースが登板するのが普通である。そこでエースの交代が頭の中にあったのかもしれない。それでいて、元のエースの布施のモチベーションを維持して、大事なところで起用する。その用兵術というより人材活用術は、年々すごみを増している。