目次

[1]気づきの野球こそが早稲田実業の野球
[2]周りを巻き込む底抜けの明るさも111本塁打スラッガーの魅力


 150キロの剛速球が光る吉村 優投手(早稲田実業出身)。1学年後輩には高校通算111本塁打を記録した清宮 幸太郎内野手(現日本ハム)がいて、2年生夏には甲子園ベスト4を経験した。最後の夏はエースとして名門・早稲田実業の看板を背負ってマウンドに登り、西東京大会ベスト8まで勝ち上がった。

 吉村をはじめ、1学年後輩の清宮や、2学年後輩の野村 大樹内野手(現ソフトバンク)に加え、吉村が憧れた斎藤 佑樹さん(元日本ハム)など、数多くの名選手を輩出している早稲田実業と指揮官の和泉実監督の指導はどういったものだったのか。

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気づきの野球こそが早稲田実業の野球



吉村優、高校時代の清宮幸太郎

 1人のOBでもあり、1人の教え子である吉村は、「気づき」というキーワードを用いる。

「文化として、気づきの野球を大事にされています。監督も『日常から何かに気づく力は、野球に生きてくる』と何度も指導してくれまして、その辺りをかなり見られていました」

 吉村自身、2年生の夏に初めてベンチ入りを果たす。硬式のクラブチームで実績がある選手が多くいる中で、中等部の軟式野球部出身ということもあり、些細なところからアピールを始めていた。ボール渡しをはじめ、練習試合ではアナウンスやスコア記入など、和泉監督にインパクトを与えようと必死だった。そんな吉村の頑張りに和泉監督が気付いたからこそ、チャンスをもらい、ベンチ入りをつかんだ。

 要因として、余計な四球を出さない安定感抜群の制球力もあったが、何より「監督に評価されていました」というベンチワークが鍵を握っていたと振り返る。

 ベンチワークは、吉村のなかでも大事にしていたことだった。

「自分の武器は何なのかと考えた時に、周りを見るのが得意だったので、ベンチワークは大事にしようと無意識に気づいたんです」

 吉村の言う通り、周りを見て気づいて行動をすることがベンチワークでは求められる。早稲田実業の文化が垣間見える瞬間といっていい。

 「気づく力」をもって、どう目標を立てて、そこに向かって考えて行動したから試合で結果が出たのか、と自分ですべきことを日常生活から実行することが求められた。

 八王子ボーイズのときに河合雄也氏から教わった「目標達成に関する指導」に近いものだろう。それについて「すごくマッチしていた」と振り返るように、通ずる部分も多かった。そのうえで「野球以外の部分でどうあるべきか大事にするようになりました」と、恩師への感謝の思いを言葉にした。

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