
1995年のプロ野球で、不振であった巨人の長嶋茂雄監督は、「メークドラマ」という言葉を使って、選手の奮起を促した。巨人はこの年は優勝できなかったが、翌96年に首位と最大11.5ゲームをつけられながらも逆転優勝。「メークドラマの完成」と言われた。
コロナ下で入学した今の高校球児。人それぞれにドラマがあるに違いない。中でもドラマ性を感じるのが、東海大菅生だ。
今の2年生が入学した時、コロナによりセンバツに続き夏の選手権大会も中止になった。そこで行われた独自大会。東海大菅生は西東京大会の決勝も、帝京との東西決戦も、劇的な勝ち方で栄冠を手にした。当時としては、独自大会を開催するだけでも大変なことであった。とはいえ、負け知らずで夏を終えながら、甲子園に行けない悔しさもあったはずだ。
そうした思いを受けた今の3年生は、秋季都大会を制し、センバツ出場を決めた。センバツでは2回戦で京都国際戦を、9回に多井 耶雲(2年)の劇的な逆転サヨナラ二塁打で破るなどして準々決勝に進出したが、準々決勝の中京大中京(愛知)戦では、肩の違和感を訴えていたエースの本田 峻也投手(3年)が本来の投球ができず敗れた。
そして迎えた夏の甲子園。雨で泥田のような状況で行われた大阪桐蔭との一戦。インステップから体をひねって投げる本田には不利な状況であり、足を滑らせ、転倒することもあった。それでも優勝候補相手に、7回に一時は1点差まで詰め寄り、なおも2死二、三塁から、4番の小池 祐吏内野手(2年)は三振に終わった。そして8回表の途中で試合は32分間の中断の後、中止になった。
この試合のベンチには2年生も多くいた。彼らもまた、3年生の思いを受けての戦いになる。