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松坂と並んだ沖縄の怪腕、悲運と悲劇に泣いた日々~新垣物語【後編】

2021.08.25

松坂と並んだ沖縄の怪腕、悲運と悲劇に泣いた日々~新垣物語【後編】 | 高校野球ドットコム
松坂 大輔 <写真:日刊現代/アフロ>、新垣渚<写真:日刊スポーツ/アフロ>

松坂と並んだ夏

 新垣は、最後の力をふり絞って、夏に向かった。新垣は小学生のころに受けた交通事故で脛を骨折。中学まで金具のボルトをいれたままの生活を余儀なくされた。兄の影響で始めた野球。一時断念も考えたが、沖縄水産に入学。亡くなった栽弘義監督のもと、大事に育てられた。

 新垣を初めて学校で取材した際の栽監督の言葉を思い出す。

 「この子(新垣)はとんでもないピッチャーになるよ。素質は自分が育てた中で一番」

 ブルペンでの迫力ある投球練習をみながら、自分もそう思った。「足が弱いから。下半身をあんまりいじめられないんだよ」。厳しい指導で有名だった名将も将来を見据えて育てた。1991年夏、2年連続で夏甲子園で準優勝した。あと一歩と迫った夢の全国制覇に、右ひじを故障していた大野 倫を痛み止めの薬を飲ませて最後までマウンドに立たせた。その闘将の姿は、そこにはなかった。だから宮里というもう1人の投手を育て、新垣との2枚看板で悲願の優勝を狙っていた。新垣はチームにとっても大事なピースでもあり、将来の日本球界を背負う素質があると見込んで、大事に育てた投手でもあった。

 

 新垣はいやな走りこみも行った。けが予防との勝負と戦いながら、下半身作りを目指した。そして迎えた最後の夏。初戦で冒頭の試合を迎える。「151キロマーク」。センバツの松坂を超える速球に自信をつけ、夏の甲子園切符をつかむのだった。

 甲子園に戻ってきた新垣の夏初戦は、くしくもセンバツ同様に「埼玉県勢」だった。浦和学院に敗れた悔しさを、埼玉栄にぶつけるつもりだった。松坂は初戦で大分の柳ヶ浦に勝利した。自分も負けられない。大会8日目、沖縄水産埼玉栄と対戦した。初回に沖縄水産が1点を先制すると、先発宮里がその裏に3点を奪われて劣勢でスタートした。しかし、3回途中の無死二塁で新垣が2番手として登板すると流れが変わった。四球こそ与えたが、その後に2年生スラッガー4番大島 裕行を遊撃への併殺で打ち取ると、150キロの直球を武器に三振でピンチを切り抜けた。すると沖縄水産打線は4回に1点、5回に2点を奪い4対3と試合をひっくり返して見せた。

 新垣は6回までスコアボードに0を並べた。4回には自己最速タイ、甲子園ではこの時点で甲子園最速となる151キロも計測して甲子園を驚かせた。だれもが沖縄水産の逆転勝ちと思っていたなか、運命の7回を迎えた。

 先頭打者に二塁打を許したが、その後2人をバント小フライと三振に仕留めた。迎えたのは2年生大島だった。新垣はそこまで遊撃併殺打、三塁ゴロに打ち取っていた。しかし、初球の直球がやや高めにいくと、大島はフルスイング。打球は高々と右中間スタンドへ舞い上がり、逆転2ランとなって無情にもスタンドに転がった。

 「投げた瞬間、ああーとなりました。見事にとらえられた。外角を狙った直球がど真ん中に入ってしまった。頭が真っ白になって、何が何だか分からなくなった」

 当時のスコアブックには、新垣のコメントがそう記されている。一瞬の出来事だった。今でもそのシーンは脳裏に焼き付いている。新垣は体調を崩し、風邪気味だったが、言い訳にはしなかった。「みんなと楽しく野球がやれてよかった。悔いはないです」。そう振り返るとともに、こんなコメントも残っていた。

 「松坂と比較されて、うれしかった」

 ライバル松坂との待望の再戦は春も夏も実現しなかった。春も夏もどこまで勝ち上がれば横浜と対戦するのかと、みんなで意識しあっていたという。大会のたびに宮里と新垣が交互に先発する試合が多かったが、甲子園では横浜との対戦を考えた上で、春も夏も初戦は宮里が先発していたのだという。そこまで意識していたライバルとの戦いを前に自分たちが敗れた。悔しい思いもあるだろうが、松坂がいたから頑張れた。松坂と球速を競い合ったから頑張れた。松坂と比べられていた自分が、うれしかった。

 今ではコロナ禍でなくなったが、例年、開会式後の球場周辺では、華やかな「記念撮影会」が行われる。全国の有名選手が一同に会する機会はそうない。選手同士でも「あの選手と写真を取る」というのがトレンドでもあった。松坂は恥ずかしがり屋の性格もあってか、動き回っていたらしいが、新垣はじっと立ってリクエストに応えていた。当時、190センチ近い選手はそういない。相当目立つだろう。新垣にはそんなやさしさと人懐っこさがあった。

[page_break:悲劇のドラフトか九州共立大/苦悩続きのソフトバンク]

悲劇のドラフトか九州共立大

 その後、新垣はさらに松坂との距離を広げられることになる。運命のドラフトで西武1指名を受けた松坂とは対照的に、希望していたダイエーではなく抽選の結果、オリックス指名が確定した。ダイエー志望の気持ちが変わらないため九州共立大への進学をオリックス側に伝えるも、粘り強く交渉を進めようとするオリックススカウトと会わない選択をした結果、オリックス三輪田 勝利・編成部長の自殺という衝撃的な事件とつながった。心身ともに憔悴しながら、九州共立大に進学。極度のホームシックに悩み、寮を抜け出して沖縄に帰ったこともあったが、1年秋には明治神宮大会で大学日本一に貢献し、大学4年秋のリーグではMVPとベストナインにも選ばれた。

苦悩続きのソフトバンク

 晴れてダイエーに入団し、ルーキーの03年には日本一も経験した。04年には最多奪三振のタイトルを獲得したが、その後はシュートを習得した影響か、暴投を多発することになる。「暴投王」という不名誉な称号も付けられ、07年にはシーズン25暴投という日本記録も樹立?してしまった。球速は大学時代に156キロまで伸びたが、プロでは伸びなかった。高卒ルーキーでプロ入りした松坂が順調に成績を伸ばしていった姿とは対照的だった。

 現在は、ソフトバンクの球団職員として働いている。ジュニアチームの監督も務めたが、今はユーチューバー的な存在で、野球の普及などに携わっている。

 「松坂世代を引っ張り、仲間に夢を見せ続けてくれてありがとう。これからは体をいたわってほしいです」

 松坂が21年シーズン限りで引退を表明した時の新垣のコメントだ。松坂は2015年から3年間、ソフトバンクのユニフォームを着た。ほとんど活躍することができなかったが、新垣がヤクルトに移籍して空いた背番号18をつけた。新垣は松坂の所属ラストイヤーの17年から球団職員となった。1年だけ「同球団」にいたことになるが、立場は全然違っていた。

 沖縄水産のユニフォームで横浜と甲子園で戦いたかった。あの青春の日の情熱は夢と消えたが、野球人としての新垣を大きくさせたことは間違いない。

(取材・文=浦田 由紀夫

この記事の執筆者: 高校野球ドットコム編集部

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