目次

[1]松坂を大成させるきっかけとなった2年夏準決勝のサヨナラ暴投
[2]ハマの二刀流と言う名にふさわしい活躍

 松坂 大輔横浜高校時代にはエースで4番として、同校春夏連覇の立役者となっている。20世紀も終わりに差し掛かった1998年(平成10)のことである。プロ入り後は、新人時代に当時オリックスのイチローから三振を奪って、「自信から確信に変わりました」の言葉を残して西武~MLBのレッドソックスなどで活躍。また、侍ジャパンのエースとしても活躍したのは周知のとおりである。その後、日本球界にも復帰してソフトバンク、中日などにも在籍。

 松坂が夏の甲子園で優勝してから、23年が経った8月22日、松坂の高校時代を振り返ってみよう。

松坂を大成させるきっかけとなった2年夏準決勝のサヨナラ暴投


 松坂 大輔の存在は、横浜高校に入学する前から関係者には、よく知られてはいた。
 ただ、球の速さはあるものの、制球にバラつきがあるということや、やや太りやすい体質であるということも指摘されていた。それだけに、どこまで大成するのかということも、いくらか疑問視もされていた。

 

 その松坂が、大きく成長するきっかけとなったのは2年生夏の神奈川大会準決勝の横浜商(Y校)戦での敗戦だった。2対1でリードしていた横浜だったが、9回までで14安打を放ちながらも2点というややチグハグさも目立っていた。それでも何とか1点リードであと1イニング。しかし、この春、センバツ出場を果たしているY校は粘る。一死二、三塁として8番阿部は一、二塁間を破って同点。さらに9番途中出場ながら器用な岡田を迎えて、横浜バッテリーはスクイズ警戒。

 小山 良男との2年生バッテリーの横浜、ここで気負いが出てしまったか、三塁走者の動きに少し慌ててしまった。松坂のウエストボールは高く外れすぎて暴投になって、Y校の三塁走者は小躍りしてホームイン。サヨナラとなった。

 この負け試合がその後の松坂 大輔を作り上げたとも言われている。夏の練習では、制球力を磨くとともに、徹底的に走り込んで下半身を強化するとともに、精神面も鍛えた。

 新チームとなったが、松坂と小山のバッテリーをはじめ、主砲の後藤 武敏、小池 正晃ら主力が残った横浜は新チーム段階から注目されていた。