西短の背番号1らしく、投げ切った大嶋柊が輝いて見えた
西短の背番号1らしく、投げ切った大嶋が輝いて見えた
胸に「西短」の文字が光ってみえた。時折、降りつける雨に濡れていたが、大きな2文字が放つオーラは、やはり甲子園で見るに限る。雨で当初の予定から1週間後と、コンディションを保つことは難しかったのだろう。二松学舎大附の前に、好左腕の秋山の前に、無得点で敗れたが、胸を張って帰ってきてほしい。
29年前。1992年の夏は、もっと輝いていた。森尾投手を中心に守りの野球と、堅実な試合運びで夏の頂点を手にした。福岡は大騒ぎだった。1965年、三池工が初出場初優勝を飾って以来、福岡県勢として27年ぶりの優勝に、地元は酔いしれた。
その年、西日本短大附の夏の福岡大会を取材していた。1試合だけだったが「まさか」という印象だった。
福岡工との4回戦。スコアブックには7月20日、[stadium]久留米球場[/stadium]と記されている。1対0の僅差の勝利。延長10回裏にようやく1点を奪って勝利していた。前の試合、武蔵台が大牟田を破り、取材そして原稿を書いていたので、実は詳しくは見てなかった。試合をしっかり見られる状態になった時には、終盤に入っていた。スコアブックに結果だけは書いていたが、0対0できていることも意識していないほどだった。試合前には西日本短大附は楽に勝つと思っていたからだ。
なかなか点が入らない。西短打線は9回終わって5安打無得点。沈黙する打線とは対照的に、先発マウンドの森尾は快調に0を並べていった。9回終わって4安打10奪三振。チーム全体が焦りの雰囲気に包み込まれ、ネット裏、スタンドがざわつき始め、相手を応援するような雰囲気に包まれかけていた。それでもマウンドの森尾は実に黙々と投げていた。「黙々と」という言葉がぴったりだった。
延長10回表に失策が出ても無失点。三振も11個目を奪っていた。その裏、先頭打者が二塁打を放ち、森尾が左前打でつないで、無死一、三塁を作る。一死後、1番打者の時に、なんとパスボールで1点をもぎとってサヨナラ勝ちをつかんでいた。負けてもおかしくないゲームだった。「今年は西短は弱い。森尾がかわいそう」。そう思っていた。
それが結局、全国頂点にまで上り詰めたのだ。実はあの試合が一番、危なかったのかもしれない。
今年のエース大嶋 柊投手(3年)は福岡大会予選で7試合すべてに登板した。準決勝で12安打8失点ながら176球で先発完投し味方の逆転勝利を呼んだ。決勝は三塁を踏ませず、わずか3安打で完封した。29年前、甲子園5試合、全試合完投して602球で頂点に上り詰めた森尾大先輩には、数字でまったくかなわないが、西短の背番号1を背負って「黙々と」マウンドで投げている姿は、どこか似ている。この日の二松学舎大附戦でも、コントロールに苦しみながら、表情ひとつ崩さず、投げ抜いた。6回に2点を失ったが自責点は0だった。
9回最後の打者が空振り三振に終わって、西短の夏甲子園は初戦で終わった。あの熱かった夏の再現はできなかった。大嶋は味方がつないでくれるのを祈りながら、ネクストバッターズサークルでその瞬間を迎えた。その目に涙はない。伝統の背番号1を背負った右腕は、最後の整列に向かいながら、ほんの少しの悔しさと、甲子園で燃え尽きた満足感をかみしめていたに違いない。
取材=浦田 由紀夫