関東一野球の象徴だった渡邉貴斗主将 将来は体育教員を目指す
関東一を率いた渡邊貴斗
帝京と熱戦を演じた関東一。2年連続夏の王者にあとアウト1つから追いつかれ、サヨナラと悔しい結果に終わった。閉会式では悔し涙を流す選手が多かったが、その中には1年間主将として牽引した渡邊貴斗もいた。
高校2年秋まで内野手だったが、チーム事情から秋から正捕手に。いろいろなポジションを守れるのが強みだが、最も自信があるポジションが「捕手」だという渡邉。
その言葉通り、スナップを利かせた強肩を活かして、セカンドスロー1.9秒前後をマーク。さらに柔らかいキャッチングで今村拓哉や領家佑馬、さらに下級生・市川祐ら強力投手陣を盛り立てた。指揮官の米澤貴光監督は「渡邊は秋の大会2週間前に作った急造のキャッチャーでした。ですので秋はぶっつけの部分もありましたが、冬場を通じて成長してくれたのが大きかったです」と1年間の渡邊の成長を称えた。
そんな渡邊は「1、2年生の時はチームの中心でプレーはできませんでしたが、主将になってから変わったといいますか、周りに変えてもらえました」と主将としての1年間を振り返った。
取手シニア時代は常総学院の菊地竜雅、中央学院の加藤公翔らとともにプレー。主将としてチームをまとめていた。その経験を活かして関東一でも主将就任時にチームをまとめようとした。しかし、「同じようにやっても巧くできませんでした。ですので、最初は全然ダメといいますか、今振り返れば、すぐにでも変わった方がいいような主将だったと思います」と語る。
それでも渡邊なりにチームをまとめ、冬場を過ぎる辺りにはチームメイトへ積極的に声をかけられるようになった。また「主将をする前はプレーでも上手くいかないことがありましたが、周りから信頼をされるようになっていいプレーが増えました」と自信を持てるようになったことで、プレーの質も変わってきた。
昨年の先輩たちの甲子園で戦う姿を見て、「自分もやりたい」と思い、1年間戦い抜いた。しかし目標としてきた甲子園は中止になった。それでも「自宅で中止を聞きましたが、独自大会の開催を聞いてからすぐに切り替えてLINEでも周りに声をかけました」と独自大会制覇に向けて練習を取り組んだ。
しかし、秋と同じく帝京の壁の前に頂点には届かなかった。だが「選抜に行くつもりでしたので秋の敗戦は悔しかったですが、秋負けたから決勝に行けたともいます」とコメントしている。今回の敗戦も渡邊のこれからの人生に活かされるはずだ。
将来は体育の教員になりたい渡邊。「中学生の時にお世話になった体育の先生がとても良い先生で、一時はプロ野球選手になりたい思いはあったんですけど、自分の実力では厳しいかなと感じていました。将来は教員免許の取れるところに進んで、そこで野球を続けられれば」と今後について語った。今大会の経験が渡邊主将のこれからに繋がってくれることを願うばかりだ。
(記事=河嶋 宗一)
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