計7回出場の古豪・上尾(埼玉)を率いる高野監督は「選手に会って話をしたい」
上尾高校・高野和樹監督(*写真は昨秋埼玉大会より)
昭和の一時代には埼玉県の高校野球を確実にリードしていた伝統校でもある上尾高校。春3回、夏4回の甲子園出場実績がある。甲子園での通算は7勝7敗だが、そのうち延長戦5試合。1点差試合9試合という記録だけでも、上尾の甲子園での善戦ぶりが窺えるだろう。県内では、一時は各校が、「打倒上尾」を掲げるくらいの、強力な存在となっていた。しかし、平成の時代となっていくとともに、埼玉県の高校野球の構図も変化が生じてきた。浦和学院や春日部共栄、さらには花咲徳栄、聖望学園といった野球部を強化している私立校が台頭してくることによって、伝統校の上尾といえども厳しい状況になってきたという事実は否めなくなってきた。
それでも、復活を期待する関係者の声も多く担いながら、昭和で最後の甲子園を経験しているOBでもある高野和樹監督が鷲宮から異動して就任した。以来、徐々にチームは再建されていくようになった。一昨年の記念大会では北埼玉大会で決勝進出を果たすなど着実に“古豪復活”の兆しも示している上尾である。
そんな上尾の高野監督に、コロナ禍で活動自粛が続いている現実をどう対処しながら過ごしているのかということを電話取材してみた。
「いや、参りましたね。こんなことになってしまうとは…」
高野監督からは、そんな第一声だった。
自粛が始まった当初の意識としては、3月から4月の段階では、「やがて解除されるだろうから、その後は夏へ向けて突き進んでいこう」という希望を持っていたという。ところが、現実には4月になって緊急事態宣言が発せられて、夏の大会そのものも中止となってしまった。
選手たちは、ニュース報道などを見ながら何となく「(夏の大会が)なくなってしまうのではないかということは分かっていたのではないだろうかということは思っていたのではないか」と高野監督は察していた。
「こんな時だからこそ、会って話をしたいですね。本人たちの声を聞きたいですよ」
それが正直なところでもある。とはいえ、LINEメールなどを通じての情報確認などは、あえてあまり行っていなかったという。
「私自身が、古い人間ですから、今の時代のツールを使って、一斉に伝えていくというよりも、やっぱり直接話したいというのが本音ですよ。まあ原始的な作業かもしれませんけれども(苦笑)。それでも、何人かの子とは、電話をして話はしています。それで今の気持ちとか、他の仲間の過ごし方とかを聞いています。だけど、本当はやはり、会って話をしたいですよ。顔を見ながら生の声を聞きたいですね」
伝統校でもあり部員数も多い上尾である。毎年、今の時期になるとベンチ入りから外れることになる3年生も出てくる。そんな選手たちに対しても、熱い思いでミーテングを繰り返していっている高野監督でもある。
だからこそ、新型コロナウイルスの感染拡大の影響で活動が制限されていくという現状に対して、3年生に対しては気遣いをしている。
「選手たちは、こんな状況であっても、希望をもってくれていると思います。今やれることをしっかりとやっていこうという意識も感じさせてくれます。日誌にもそんな思いは綴られていますけれども…。やはり、会って話をしたいですね」
その思いは、本音でもあろう。
学校としては6月に入って分散登校などをしながら、徐々に平常に戻っていく体制となっていく。とはいえ、部活動としてはその次の段階となることは仕方がないことでもある。現実には、6月の3週目から4週目以降からになるのではないかと思われる。
現状、上尾の指導スタッフとしては高野監督の他には、埼玉県高野連の神谷進常務理事と片野飛鳥部長とベテランの外部指導員という上尾出身者で固められている。高野監督はグラウンドの草むしりをし、片野部長はトラクターなどでグラウンド整備を続けている。そして神谷理事からは、県高野連の動きの情報は入ってくる。とはいえ、「だからといって、先走ったことはしてはいけない」ということもある。逆に、却って一つひとつの行動に対して慎重に対処していかなくてはいけないという思いもある。
そんな中で、グラウンド環境を整えながら選手たちが戻ってくるのを心待ちにしている。
「3年生たちに対しては、こんな状況だけれども、何かの形は残してあげたい」
これは、高野監督が2年半、一緒に過ごしてきた選手たちに対しての熱い思いでもある。予定されている代替大会へ向けて、徐々に気持ちを高めていくつもりだ。
(記事=手束 仁)
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