ヤクルト・村上兄が激白 「野球は大学4年春でやめるつもりでした」。友幸を思い留まらせた安藤監督の一言
準決勝でついに訪れた神宮のマウンド
左:兄の友幸 右:弟の宗隆
諦めなかったこそ訪れた神宮のマウンドだった。
11月19日、明治神宮大会大学の部準決勝、関西大vs東海大の一戦。東海大の先発マウンドに登ったのは村上友幸(4年・東海大星翔)だった。
この秋に浮上し、横浜市長杯の決勝戦までチャンスを与えられ、神宮大会のベンチ入りをつかんだ。
しかし思うような結果を残せなかった。初回に3点を取られてしまい、2回は無失点で抑えたものの、この回で降板となった。安藤強監督からチャンスを与えてもらった村上にとっては痛恨の思いだった。
「安藤監督を胴上げしたい思いでマウンドに登りましたから。負けたくない試合でしたし、悔しかったです」
うなだれる村上。この1試合は村上の4年間だけではなく、投手人生の集大成をかけた試合でもあった。
東海大星翔時代から193センチの長身から最速148キロの速球を投げる速球派右腕として注目された。だからこそ自分の速球でアピールしてプロに行きたい思いがあった。
「真っすぐに対するこだわりが非常に強くて、四球を出しても150キロ近い速球を投げれればいい。今、考えれば、自己中心的で、チームのことを考えていない投手でした」
そんな村上の考えを変えた試合が最後の夏の多良木戦だった。先発した村上は1回を投げることができず、降板した。
「スピードだけ狙っていて、自滅して夏を終わらせてしまったんです」
そして東海大に入学して、チームを勝たせたい。切れの良いストレートをテンポよく投げて、野手のリズムを作る考えに変わっていった。
ただ、大学ではケガもあり、思うようなピッチングもできない。4年春までリーグ戦の登板がなく、シーズンを終えた。
弟と比べられるのはしんどかった時期が。野球は辞めさせなかった安藤監督の一言
高校時代の村上友幸
そして今年初めから弟・村上宗隆(東京ヤクルト)が一軍で活躍しはじめ、自分ではなく、弟の話題にした取材が兄に集中する。
「もう弟と比べられるのがしんどかったですね。取材があれば、弟、弟。投げていても弟だったんです。だから監督さんに4年春が終わった後に野球を辞めますと話したんです」
しかし安藤監督は反対した。
「監督さんから『もったいないから辞めるな。進路は俺が何とかするから、続けろ』といわれ、頑張ろうと」
193センチ89キロの体格から投げ込む速球の最速は147キロ。安藤監督は村上のポテンシャルの高さ、可能性の高さを評価し、思い留まらせたのだ。
そして秋へ向けて練習を重ねた村上はリーグ戦でベンチ入りを果たし、10月21日の筑波大戦でリーグ戦初登板。先発した村上は6回1失点の好投で試合を作った。自信が描くコントロール重視のピッチングも少しずつ手ごたえをつかんでいる。
「今も力を入れれば、147キロは出ると思うんですけど、コントロール重視でコーナーに投げれば、ゴロを打たせられる確率は高まりました」
最後の登板では悔しい結果に終わったが、野球を諦めなかったからこそリーグ戦初登板も実現し、そして社会人野球を続ける道もできた。今では弟と同じプロの舞台でプレーすることに燃えている。
村上が進む企業は、2020年から硬式野球部が創設され、その一期生としてプレーする。強豪企業と比べればずっとチャンスはある。
振り返れば高校も、大学も、エースという立場ではなかった。公式戦でも目立った活躍をしていない。それでも自分の素質に期待をかけて起用し、さらに進路を見つけた安藤監督、そして自分を採用した企業に恩返しするために中心投手として活躍するだけである。
(記事=河嶋 宗一)