[1]準決勝でついに訪れた神宮のマウンド
[2]弟と比べられるのはしんどかった時期が。野球は辞めさせなかった安藤監督の一言
[1]準決勝でついに訪れた神宮のマウンド
[2]弟と比べられるのはしんどかった時期が。野球は辞めさせなかった安藤監督の一言
準決勝でついに訪れた神宮のマウンド

左:兄の友幸 右:弟の宗隆
諦めなかったこそ訪れた神宮のマウンドだった。
11月19日、明治神宮大会大学の部準決勝、関西大vs東海大の一戦。東海大の先発マウンドに登ったのは村上 友幸(4年・東海大星翔)だった。
この秋に浮上し、横浜市長杯の決勝戦までチャンスを与えられ、神宮大会のベンチ入りをつかんだ。
しかし思うような結果を残せなかった。初回に3点を取られてしまい、2回は無失点で抑えたものの、この回で降板となった。安藤強監督からチャンスを与えてもらった村上にとっては痛恨の思いだった。
「安藤監督を胴上げしたい思いでマウンドに登りましたから。負けたくない試合でしたし、悔しかったです」
うなだれる村上。この1試合は村上の4年間だけではなく、投手人生の集大成をかけた試合でもあった。
東海大星翔時代から193センチの長身から最速148キロの速球を投げる速球派右腕として注目された。だからこそ自分の速球でアピールしてプロに行きたい思いがあった。
「真っすぐに対するこだわりが非常に強くて、四球を出しても150キロ近い速球を投げれればいい。今、考えれば、自己中心的で、チームのことを考えていない投手でした」
そんな村上の考えを変えた試合が最後の夏の多良木戦だった。先発した村上は1回を投げることができず、降板した。
「スピードだけ狙っていて、自滅して夏を終わらせてしまったんです」
そして東海大に入学して、チームを勝たせたい。切れの良いストレートをテンポよく投げて、野手のリズムを作る考えに変わっていった。
ただ、大学ではケガもあり、思うようなピッチングもできない。4年春までリーグ戦の登板がなく、シーズンを終えた。