目次

[1]長所を引き出した29歳の青年監督
[2]エースの存在の大きさ

 東西東京大会が終わった翌日に、関東地方の梅雨明けが発表された。それだけ雨に悩まされ続けた3週間余りであった。連日の雨の中でもグラウンドを整備し、パズルのように複雑な日程調整をしながら、最終的には予定通り大会を終えた関係者の苦労に、まず敬意を表したい。

 第101回大会、令和元年と、新たの時代の到来を感じされる今大会は、波乱続きであった。とりわけ東京の高校野球をリードしてきた早稲田実業日大三帝京が準決勝に残ることなく姿を消した。これは東京が東西2代表になった1974年の第56回大会以降、初めてのことだ。また早稲田実業が国分寺市に移転し、西東京に編入されてから、早稲田実業日大三も4強に残れなかったのも、初めてのことだ。
 波乱の一方で、新たな時代の息吹も感じられた今年の東西東京大会を振り返る。
 今回は西東京を見ていく。

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第101回 全国高等学校野球選手権 西東京大会

長所を引き出した29歳の青年監督


 国士舘日大三早稲田実業東海大菅生など、優勝候補が相次いで敗れる中、西東京大会を制したのは、秋、春の都大会で8強止まりだった國學院久我山だ。特に秋は、エラーで自滅する形で敗れた。
 選手たちが問題点を自覚し、改善していった。尾崎直輝監督は、選手たちの長所をうまく引き出してチーム力を上げ、優勝に導いた。

 尾崎監督は29歳。東京で20代の監督が優勝するのは、久々である。
 東京の高校野球をリードしている帝京の前田三夫監督も、日大三の小倉全由監督も20代で監督として甲子園に行っている(小倉監督は関東一の監督として)。早稲田実業の和泉実監督も30代前半に優勝している。

 それに比べると、近年は若い指導者があまり台頭していなかった。東京の高校野球の発展のためには、世代や背景が違う指導者が切磋琢磨し合うことが望ましい。
 準優勝の創価の片桐哲郎監督は、指導者経験は豊富だが、1976年生まれで若い方に入る。

 小倉監督や和泉監督、それにプロ野球経験者である東海大菅生の若林弘泰監督といったベテランの指導者が覇を競い合っている中に、若手の指導者が入り込んできた。東京の高校球界にいい刺激になるに違いない。

完成されたチームの難しさ



東海大菅生(春の都大会・国士舘戦から)

 今年の西東京でダントツの優勝候補は、東海大菅生だった。投、攻、走、守のあらゆる面で高いレベルでスキがなく、完成されたチームだった。

 これだけ完成されたチームは、一度センバツにピークを持って行って戦い、大会後は一度リセットしたうえで、夏に臨むべきなのかもしれない。しかし力はありながらセンバツに出場できなかった。そのためリセットする間もなく、関東大会を戦った。

 エースの中村 晃太朗が6月に、走り込みで膝を痛めたのが響いた。
 強肩、俊足、強打の捕手である小山 翔暉、華麗な守備の遊撃手・成瀬 脩人らを甲子園でみられないのは、寂しい気がする。