県立沼南高等学校(千葉)
独自の練習スタイルで高い自主性を育み、初の関東大会出場
今年、初の関東大会出場を決めた千葉県柏市にある県立沼南高等学校。昨秋は県大会出場も果たせなかったチームが、なぜ一冬超えて、県大会を勝ち上がるほどの力をつけたのか。チームの成長過程と夏へ向けての意気込みを伺った。
沼南独特の練習風景
沼南を訪れて、最初に気付いた他の高校との違い。それは、練習着の選び方だ。
高校球児の練習着といえば、基本は上下ともに白色。チームによってアンダーシャツの色合いは異なるとはいえ、全員同じ服装が徹底されている。しかし、沼南の場合は、選手が着ているTシャツは白・黒・紺のほか、他校のチームTシャツを着ているなど、選手によって服装が違った。
さらに、打撃練習中はずっと音楽が流れ、選手は笑顔を見せながらフルスイング。次々と鋭い打球を飛ばしていた。最近は、音楽を流す学校は多くなっているとはいえ、それでも高校野球の世界では、異色のスタイルである。なぜ、このスタイルになったのか?それは、沼南が強くなった時期から振り返る必要があるだろう。
かつて、沼南は部員が9人揃わない時期もあった。そんな時期に赴任したのが、銚子商で監督をしていた中西 威史前監督である。毎年、甲子園出場を目指すのが当たり前の銚子商と、なんとか大会に出場できれば良いと考えていた沼南では、生徒の意識も環境も全く違った。中西監督はそんな中、野球経験がない一般の生徒も勧誘して、なんとか試合に出場。また、学校や家庭の経済的にも、練習着やチーム用具を揃える余裕もなかったため、練習着は中学時代のユニフォームや、おさがりでも借り物でも、野球ができる服装ならばOKにした。その名残が今でも残っている。
茅野 和也部長の話を聞く選手たち(県立沼南高等学校)
「僕も最初は統一すべきかなと思ったこともありましたが、そこで縛り付けると、彼ら本来のノリの良さを失ってしまう気がしました」
と語るのは、2011年からコーチに就任し、2014年から部長となった茅野 和也部長。
また、打撃練習中に音楽を流し始めたのには、ある本が影響している。これも茅野部長が説明してくれた。
「音楽を流すと、選手は1.5倍頑張れると書いてあったようです。中西先生はそれを読んで、実際に試したら、選手の集中力を保つことができた効果があったので、今も続けています」
実は音楽を流すことをやめた時期もあった。
「そうしたら、ケガ人が多く出てしまったんですよね。それで、また音楽を流し始めたらケガ人が少なくなったんです」
もともと性格的にも、やんちゃな生徒が集まりやすい沼南。そのため、何から何まで締め付けるよりも、音楽を流しながら楽しくやろうと、選手がやりやすいように環境を整備していったのだ。
かといって、何でもかんでも承認しているわけではない。グラウンドでの中西前監督は、まさに昔ながらの雰囲気で、選手に叱咤激励をしながら、向き合っていく。
現在の監督・橋本 秀哉監督は、「選手にとって怖い存在だったでしょう」と笑うように、中西前監督のたたき上げで強くなったチームは、2008年夏には西千葉大会で準優勝を収めるなど、気付けば強豪校の仲間入りを果たしていた。
意識の高い選手が集まった今年の沼南ナイン
その後、中西 威史前監督は、2014年に千葉商に異動。そして、2011年に赴任してきた橋本 秀哉監督が後任となって、茅野 和也部長とともにチームの指導にあたる。
いつも朗らかな表情を見せる橋本監督は、
「沼南の選手たちは野球が好きな子ばかり。自分から積極的に練習に取り組む選手たちが多いですね。彼らのモチベーションを失わせないような工夫をしています」と語る。
そんな橋本監督率いる沼南のこの代は、新チームスタートの時期が最も苦しんだ。
秋季大会の第4ブロック代表決定戦で、流通経済大柏に3対12で敗れ、二次代表決定戦でも千葉英和に1対3で敗退。県大会出場はならなかった。橋本監督、茅野部長ともに今年のチームに対する評価は、
「やはり昨年のチームに比べると、打力面で劣っているところがありましたので、やや厳しいかなというのがありました。しかし、彼らは意識が高く、うまくなることに対して非常に貪欲でした」
今年のチームが冬の間に急成長した大きな理由は、自主的に取り組む姿勢だった。その象徴的な存在が、春に4番に座った高山 柾(3年)。昨秋にレギュラーを獲得した選手だが、当時はまだ4番ではなかった。
「高山は冬場、一人でマシンを取り出して、朝からずっと打撃練習をしているんです。彼だけではなく、他の選手もどんどん打撃練習をしていました。そういうところが春の躍進につながったと思います」(茅野部長)
高山は、「周りに上手い選手が多いので、練習をしないとベンチに入れません」という思いから、冬の間に猛練習をしたというわけだ。1日おきに最低ティーを500球打つなど、とにかくバットを振り込んで、4番の座についた。
木崎 友也選手(県立沼南高等学校)
もちろん、彼らが積極的に打撃練習する理由として、「打撃が好き」という選手が多いのも1つの理由だ。この日は土曜日前ということで、全体練習が6時には終了したが、多くの選手が帰宅せずにそのまま打撃練習を続けていた。そのメニューはティー、素振り、トスバッティングなど様々である。主将の木崎 友也に話を聞くと、1日2時間は自主練習しているという。
毎回のテーマもハッキリしている。
「以前、淡泊な打撃をして負けた経験があるので、センター返しを中心にした打撃ができています」と、木崎は話す。
強豪・柏日体を破ったことが春躍進のきっかけに
そして迎えた春季大会。橋本監督がターニングポイントだったと振り返ったのが、代表決定戦の柏日体戦。柏日体は昨夏の千葉大会で4強入り。その時主力であったエースの朏 仁矢、主砲のエドポロ ジョセフらが残る強力なチームであった。試合は7対6で接戦をものにして、沼南が県大会出場を決める。
「今振り返ると、一番苦しい試合でしたね」と橋本監督は振り返る。
チームは、この試合をきっかけに勢いづいた。県大会初戦で袖ヶ浦を9対3で破ると、2回戦の茂原北陵も8対1で快勝、千葉英和戦(試合レポート)では4番に昇格した高山 柾が満塁本塁打を放って快勝。準々決勝では千葉明徳に6対2で快勝するなど着実にレベルアップ。そして、準決勝では市立松戸を10対0で破り、ついに関東大会出場を決める。県大会5試合では1試合平均9.4得点とまさに破壊力ある打線へ成長を遂げた。
また、打撃だけでなく、守備力も高まっていた。橋本監督は、
「投手ではエースの黒井 翔の成長が大きかったです。また粘り強く守ることができたことで、打撃に集中できたと思います」
攻守で成長を果たし、関東大会への切符を手にした沼南ナイン。しかし、関東大会では、そう順調には勝てなかった。
プレッシャーを感じたことが収穫
関東大会の初戦は好投手・茶谷 健太擁する帝京三。その茶谷を打ち崩すことができず、自慢の打線は1点止まり。7回裏に黒井 翔が2ランを浴び、1対3で敗れた。
この試合の振り返りとして、多くの選手が、「地に足がつかず、本来のプレーができなかった」と口にした。
しかし、橋本 秀哉監督は前向きだった。
「僕は収穫があった関東大会だと思います」
それは、なぜなのか?
「今までプレッシャーの無い中でやってきましたから。関東大会ではプレッシャーを感じながらやってきた。夏はそういう中でやることが多くなると思うんです。そういう経験を味わうことができたのは良かったと思いますよ。そのプレッシャーは指導者がどこうできるものではなく、自分たちで打ち勝っていくしかありません」
指導者から選手たちへプレッシャーをかけていくチームもあるが、橋本監督はそういう考えはない。むしろ「野球好きな生徒ばかりなので、思い切り楽しめるようにサポートしていきたい」と、あくまでやる気ある選手を後押しする存在として選手を支える。
そして茅野 和也部長も、「選手たちは本当に頑張っているので、僕も最後まで付き合っていきますよ!」と全面サポート。選手思いの2人の指導者が選手たちの能力を引き出しているといっても過言ではない。
左から木崎 友也選手、橋本 秀哉監督、神田 元樹選手、黒井 翔選手(県立沼南高等学校)
さて選手たちは夏へ向けて、今は何を課題に挙げているのか。主将であり、通算10本塁打以上を打っている木崎 友也(3年)は、
「チームとすれば、ランナー二塁からワンヒットで還れないことが多いので、走塁技術を磨いていきたいです」とチーム全体の課題を話し、自分自身の目標として、「長打力を磨いていきたいですね。夏では先頭打者本塁打を打っていきたいです!」と強打の一番打者としてさらにレベルアップすることを誓った。
そして、エースの黒井は、
「終盤でのスタミナがまだまだですし、ストレートも130キロぐらいなので、もっと走り込んで、ウエイトトレーニングしたりして、終盤にバテない投手になりたい」
と目標を掲げた。
怖いもの知らずで、打撃好きな選手が集まった今年の沼南ナイン。関東大会で高いレベルの野球を知った今、あとは激戦千葉を勝ち抜くために、自主的に追い込んで実力を高めるだけ。あと一歩で甲子園に届かなかった2008年の西千葉大会を超える活躍を見せる。
(取材・文=河嶋 宗一)