目次

[1]多古での監督生活は9人からスタート / 東総工時代に取り入れたウインターリーグをそのまま踏襲
[2]大会前でも平常練習 開き直って東海大望洋を破る
[3]自分たちの野球を貫き通すだけ

 今年の千葉県春季大会は、番狂わせの大会であった。センバツ出場の木更津総合市立松戸に敗れ(試合レポート)、強豪・習志野柏南に逆転負け(試合レポート)。そして昨夏の甲子園出場の東海大望洋を破った(試合レポート)のが多古であった。その後、多古ベスト16入りを果たし、シード権を獲得した。その多古を率いるのが、迫屋 昇二監督だ。

 市立銚子時代は、1995年に広島からドラフト1位指名を受けた長谷川 昌幸、また同い年で、帝京大に進学し、プロ入りした窪田 淳(阪神タイガース-オリックス・ブルーウェーブ)と2人の好投手をプロへ輩出し、次に赴任した東総工時代は、高校時代、抜群のスローイングと強打を武器にプロから注目され、現在中日ドラゴンズで捕手として出場を機会を増やしている杉山 翔大、JR東海のエース・菅野 智也選手2013年インタビューなど活躍する選手も輩出している。
そして、2011年から就任した多古もまた、迫屋監督とともに、着実に実力を伸ばしていた。

多古での監督生活は9人からスタート

ノックを打つ迫屋 昇二監督(県立多古高等学校)

 千葉県多古町。北東部の香取郡にある多古町は農業が盛んで、特に多古米、やまといもが特産品として有名である。多古高校は、生産流通科という学科があり、野菜・草花などの栽培学習が行われる。学校の近くにはビニールハウスや畑があり、のどかさを感じる学校である。

 そこに2011年春に赴任したのが迫屋 昇二監督だ。
「夏までは部長で、監督としてスタートしたのは秋から。そのとき9人だけだったんですよ」
と語る迫屋監督。赴任当時、3年生が16人、2年生が8人、1年生が1人の25人。当然、3年生が抜ければ、ケガ人が出ると公式戦に出場できないチーム状態の中だった。

 迫屋監督はそれでも練習試合を多く組んだ。ダブルヘッダーは当たり前。たまに選手の体調が悪くて試合に出られない時は、相手チームから借りて試合に出場するなど、とにかく実戦経験を積ませていった。夏休み中、9人ということで、練習は半日だけれども密度の濃い練習ができたことで選手は成長を果たし、二次予選沼南高柳を9対1で破り(試合レポート)、県大会出場を決めたのだ。

 そして2012年春、22人の新入生を迎える。ここから指導の本腰に入った。夏まで合宿を行ったり、木更津に遠征をして、木更津総合安房と練習試合を行い、強豪校の立ち居振る舞いを学んできた。この時の1年生は、1年夏から主力選手となり、2012年夏2013年夏も4回戦まで進出。2013年秋は、2年ぶりに県大会出場を果たし、2回戦で銚子商を6対1で破るなど、着実にレベルアップを果たす。

 1年から出場してきた選手は、一冬を超えると打線がさらにパワーアップし、練習試合では何度も二けた得点を記録するなど、順調に夏へ向けて仕上げてきた。初戦千葉商大付戦は8対1の7回コールド勝ちを収め、2回戦進出。幸先の良いスタートを切ったように思えたが、2回戦では優勝候補・木更津総合に2対9で敗れてしまう。新チームがスタートした今の代も、秋の県大会出場を果たすも、我孫子東に6対7で敗れ、そして冬を迎える。

東総工時代に取り入れたウインターリーグをそのまま踏襲

 夏に勝てるチームを作るために、多古は、冬でも紅白戦を行う。これは東総工時代から行っていることだ。きっかけは2006年秋のブロック予選で、当時、全国レベルの好投手・唐川 侑己擁する成田と対戦し、コールド負けを喫したこと。負けた後、当時の父母会長に
「迫屋先生、あの時(市立銚子)のようにガンガンやってよといわれたんです。その父母会長の息子は、1998年に秋季関東大会に出場した時の選手の弟。当時の練習を再現させて厳しくやりましたね」
と猛練習を敢行する。

 しかし11月、東総工が所属する第6ブロックの学校で行われる東部地区大会でも勝つことができず、「練習をガンガンやってもダメなんだなと思いましたね」と、どうすれば選手たちは実戦に強くなるのかと考えた。そこで閃いたのが「ウインターリーグ」の導入であった。
「雨が降らない限り、土日に紅白戦をやります。まあ駒大苫小牧が氷点下の中やっているのだから、一桁の温度ぐらいなら大丈夫かなと思って」
寒い中のプレーは故障のリスクもある。しかし殻を破るにはこの期間の改革しかなかった。

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