日本大学第三高等学校(東京)【前編】
戦前から甲子園大会に出場し、春1回(1971年)、夏2回(2001、2011年)全国制覇をした有数の伝統校であり、強豪である日大三。その日大三が昨秋、都大会の1回戦で早稲田実に3対10の7回コールドで敗れ、衝撃が広がった。しかし半年後の春季都大会では、強力打線で優勝を果たした。日大三はどのようにして復活し、夏にどう臨むのか。町田市にある練習場を訪ねた。
衝撃のコールド負けを経て
栄光の歴史(日本大学第三高等学校)
日大三の練習場は、町田駅からバスで数十分行った、丘陵地帯にある。校舎と隣接している専用球場は、両翼95メートル、センター125メートルという立派なもの。すぐ横には、合宿所や雨天練習場の建物がある。
1階の食堂には、栄光の歴史を物語る盾や記念品、写真パネルなどが所狭しと並ぶ。今の2、3年生は、中学生の時2011年の全国制覇をみている。
投手の小谷野 楽夕が中学生の時所属していた東京ベイボーイズの先輩には、2011年に優勝した時の主将である畔上 翔がいた。また八王子リトルシニア出身である遊撃手の下小牧 淳也は、「(優勝したチームの試合を)[stadium]八王子市民球場[/stadium]で、ナマで観ていましたし、すごい憧れがありました」と語る。
ところが昨年の夏は西東京大会の準決勝で東海大菅生に敗れ、全国制覇した2011年以来続いていた、連続出場記録が途切れた。しかも新チームで夏の試合を経験したのは、外野手で主将の田村 孝之介と捕手の小藤 翼だけ。
試合経験のある投手は1人もいなかった。
背番号1を担ったのは、中学生時代も含めて投手経験がない、田村だった。小倉 全由監督は、「球が一番速いので」と、その理由を語る。実際田村は、遠投124、5メートルの強肩で、最速147キロの球を投げる。田村は夏の間、強豪相手の練習試合でも好投していた。
こうして迎えた秋季都大会の1回戦は、宿命のライバルとも言うべき早稲田実であった。
10月12日、満員の[stadium]神宮第二球場[/stadium]で行われたこの試合、先発の田村は1回表に相手の3番・田口 喜将の2ラン本塁打などで4点を失い、1回を持たずにKOされた。「頭は真っ白でした。ホームランを打たれたのはボール球だったので、驚きました」と、田村は言う。
1回途中からは、公式戦初登板の1年生(当時)・小谷野 楽夕が登板したが、2回表に4点を失い、試合の流れは決まった。「経験したことがない緊張感がありました」と、小谷野は振り返る。結局この試合は、3対10の7回コールドで早稲田実に敗れた。
「勝たなければならない、うまくやらなければならないという気持ちが強すぎました」
と小倉監督は語る。学校も世間の目も、そして強い日大三に憧れて入った選手自身もそうであるが、その気持ちが空回りした。
この大敗は当事者はもちろん、東京の高校球界にとっても衝撃的だった。日大三がこのショックから立ち直り、生まれ変わるきっかけになったのは、冬の強化合宿であった。
冬の強化合宿、変わる選手たち
トレーニング(日本大学第三高等学校)
12月13日の夜のミーティングで、小倉 全由監督は、選手たちにこう語りかけた。
「お前たち逃げ出したいだろう。好きなことを書いておきなさい。『こんなことやらせやがって』でもいい。『怖くて、怖くてしょうがない』でもいい。それが、3日目、1週間となると、絶対に気持ちが変わってくる。ラスト3日くらいになると、絶対に最終日を迎えてやるという、強い自分に変わってくるから」
その翌日から、朝5時半からランニングを中心に2時間のトレーニングをして、食事の後は打撃、守備の猛練習、夜は1時間の素振り、ミーティングという、1日12時間の練習が2週間続く強化合宿に突入した。
昨年末、初めて強化合宿を経験した小谷野 楽夕に、「逃げ出したいと思ったことはなかった?」と聞くと、「ありました」と、正直に答えた。それでも、「(秋は)自分が打たれて負けたので、何としてもやり切ろうと思いました」と語る。
捕手の小藤 翼は、「厳しかったですが、この練習をやれば、甲子園に近づくと思ってやりました」と言う。
「最初は悲壮感が漂っていますよ。でも、これをやらなきゃ三高の野球部じゃない、みたいになっています。最終日はOBもたくさん来ます。昨年の12月は80人くらい来ました。彼らにしても、自分たちはこれで強くなったというのがあるんです」と小倉監督は語る。
小倉監督の練習は、厳しい。それでも選手からは、不満の声は聞こえない。
小藤は「監督さんは、自分達のことを一番に考えてくれています」と言えば、田村は「(距離が)近いし、話しやすいです。ついていけば勝てると、思っています」と語る。
小倉監督は「楽しく」ということを強調する。その「楽しく」の意味について小倉監督は、「甲子園に行きたい、いい野球をしたいのであれば、きつい練習は当たり前。きつい練習をやっても、やり切ったという充実感。それが楽しみだと思う」と語る。と同時に、「甲子園に出られても、出られなくても、三高に来て良かったと思わせないといけない」という気持ちは強い。その思いの根底にあるのが、自身の高校時代の経験である。 (後編に続く)
後編では、“小倉野球”の真髄とともに、今年の夏に挑む選手たちの思いをお届けします。
(取材/文=大島 裕史)