立教新座高等学校(埼玉)【後編】
「自由」と「責任」を交差させる「アメリカンスタイル」
「見よ見よ立教 自由の学府」
立教大学、及び旧名・立教高等学校(2000年に現校名に変更)校歌「栄光の立教」における最後の一節である。このように、自由を校是とする立教新座高等学校。1948年に創部され、1955年春<1959年までは東京都豊島区に立地>・1985年夏に続く「30年周期」での3度目の甲子園を目指す同校硬式野球部もその精神を受け継ぎつつ、近年、他にはない戦い方を打ち出しつつある。
名付けて「アメリカンスタイル」~一見すれば、大学野球にも近いスタイルから彼らは何を見出そうとしているのか?
後編では冨部勇人監督が「自主性」を導き出すきっかけとなったアメリカでの経験や、「アメリカンスタイル」の具体例、そして埼玉大会へ向けての意気込みを選手たちも含めて語ってもらった。
「イチローのMLB挑戦」×「立教大の経験」=アメリカンスタイル
練習を見守る冨部 勇人監督(立教新座)
では前編のような「アメリカンスタイル」をなぜ、冨部監督が志向するようになったのか?そのきっかけは小学校時代までさかのぼる。
イチロー選手のMLB挑戦により、MLBに興味を持ち始めた冨部監督。「日本の野球と違って面白いなと思いました」と、そこからMLBについて勉強を始め、実際に触れたいと思うようになった。
そして、立教新座高卒業後、進んだ立教大学野球部4年時の2010年・待望の機会が訪れる。野球部が3~4年おきに行うアメリカスプリングキャンプのメンバーに選出されたのだ。
「スタンフォード大学などとオープン戦を行って、その時に指導者が教える姿などを見ていて、漠然と描いていたアメリカの指導スタイルがなんとなくわかるようになりました」
その後、アメリカのマイナーリーグでプレーする後輩から指導方法やトレーニングを教えてもらうなど、アメリカの野球を多く学んできた。その時に触れた野球観がそのまま冨部監督の指導スタイルとなっている。
「議論」と「主張」が「アメリカンスタイル」の象徴
と、ここまで「アメリカンスタイル」について触れてきたが、野球であっても、ベースボールであっても「自主性」に「責任」を植え付けることが、勝利につながる近道であることは誰もが周知の事実だ。では、立教新座ではどのようにして「責任」を植え付けるのか?
「選手の自主性を尊重するということで、自分の考えを主張することも求めています。そのプレー1つ1つに、どんな意味があるのか。疑問があれば、選手同士で話し合ってもらいたいですね」(冨部監督)
「主張のぶつかり合い」こそが「責任」を生むという訳である。
その言葉通り、この日は打撃練習の後にはレギュラーメンバーで、実戦的な走塁練習が行われていた。そこで起こった挟殺プレー。すると内野手の走者への追い方一つで議論になる。
しかもすぐには終わらない。時間は5分~10分にも及ぶ。傍から見れば、口論かと思うぐらい激しい。議論し合った結果、なかなか答えが出ない。
ここではじめて指揮官が登場する。冨部勇人監督は実際に動作を交えながら、理路整然と説明。選手たちは納得した表情で返事をする。事前に議論の引き出しがあるからこそ、彼らは乾いたスポンジが水を吸うように理論を身体に取り込んでいった。
主将・正捕手の井木 健太郎(3年)はその場面についてこう分析する。
「実はああやって選手同士が議論しあうのは、結構前からありました。ただあの場で冨部監督は一緒に入ってくれる。年齢も近いこともあって、話しやすいですね」
年齢が近いからこそ、構築できる関係性。さらに冨部監督が練習中のプレーだけではなく、試合起用についても、主張することを求めている。
「『もしも実力があるのに、監督の目が悪いから使われていないと思っているなら、俺にどんどん言って来い!』と伝えています。『僕は抑える自信があります、打つ自信があると思う奴は使ってほしいとどんどん言ってこい』とも言っています。そして、そういう選手を練習試合は起用する。結果を出せば、当然、メンバー入りする可能性も十分にあります。
アメリカでは『人の話は素直に聞きなさい。でも自分の意見は主張しなさい』と指導します。選手が監督に『俺を出せ、出られないのはどこが悪いんだ』と聞くのも当たり前。ですから、選手たちにはそういうところまで求めています」
これこそ正に冨部監督が実際に体験した「アメリカンスタイル」である。
接戦でも躊躇なく新たな選手を起用する理由
エース・浅尾 太紀選手(立教新座)
よって、立教新座では選手起用を9人固定する考えは全くない。今春埼玉県大会出場をかけた県立川口戦もそうだった(試合レポート)。
7回までエースの浅尾 太紀 (3年)が好投。3対2で立教新座がリードしていたにもかかわらず、8回は平林 拓真(3年)、9回表は松原 勇希(2年)。
この思い切った継投について、冨部監督はこう理由を明かす。
「実際は2人を出すのに不安はありましたし、完全に信頼したわけではありません。ただ今後、勝つために浅尾だけでは上位にいくことができない。そこで打たれたら、そこまでの投手陣。それは夏へ向けて鍛えていけばいいですし、また逆転を許せば、起用した私の責任だと思って出しました」
そして、こういう競った場面で新たな選手を起用すると、起用した選手ばかりでなく、ベンチスタートの選手にも危機感が生まれていく。
「9人固定にすると、それ以外の選手がどうせ俺は出番はないんだなと思って準備しません。しかし競った場面で起用すると、誰もが焦りますよね。その時、何も準備しない選手は結果を残すことはできない。
もう1つ、普段から準備している選手が結果を残せなくても、それはみんなが『仕方ない』と受け止めるじゃないですか。しかしそうでもない選手が、失敗する。周囲がどんな反応を見せるか……想像できますよね?」(冨部監督)
ベンチスタートにはベンチスタートの理由がある。では、その状況を一気に打開するには、プレッシャーのかかった場面で活躍するしかない。ではそこに備えた準備ができているか?できていないのか?その結果、強い集団は生まれていく。
常に「埼玉県ベスト8」へ行けるチームを
集まって話し合う選手たち(立教新座)
となれば、最終目標はもちろん……違う。立教新座野球部の目標も独特のものであった。指揮官は「自由」の先にある「責任」の話を交え、こう明言する。
「ウチの目標は毎年、必ず県ベスト8に入るチームです。確かにどこも『甲子園に行きたい』と言うじゃないですか。でも甲子園に行けないと『残念だったね、3年生お疲れ様』で終わることが多い。これは自分の結果に対して、責任を取っていないんですよね。
その反面、甲子園を毎年狙える強豪は早く負けた後の新チームはかなり厳しい練習をする。埼玉県で言えば今年の浦和学院も、昨夏の埼玉大会で3回戦敗退です。その代は春夏で甲子園に行けませんでしたが、新チームはそこから厳しい夏の練習を乗り越えて、選抜ベスト4に入るまでのチームに成長しました」
頷くばかりだ。選手にとっては2年半で終わる高校野球であるが、立教新座の歴史はこれまでも、これからも続く。その歴史を紡ぐ責任は間違いなく選手たちにもある。冨部勇人監督はさらに言葉を続けた。
「ですから、ウチもそういうのを求めています。今までの状況、選手のレベルを考えたら、埼玉大会のベスト8が現実的かなと思います。毎年そこに行けるチームを必ず作る。その目標に達しないチームは弱いチームだったと、責任を受け止めて取り組めるようにしてもらいたい」
加盟校163校もいる激戦区の埼玉県において毎年ベスト8に入るチームを作り上げるのは尋常なことではない。だが、彼らにはベスト8に入るための方法論はすでに持っている。
それこそが「自由」と「責任」を交差させる「アメリカンスタイル」。立教新座野球部は新たに埼玉県に革命を起こす存在となりながら、雄々しく自らの目標へ向かって進んでいく。
(取材/文・河嶋 宗一)