三重高等学校(三重)【後編】
前編では、中村監督と選手との毎日の会話や、ともにランニングをすることによって、選手の状態を知る工夫をお伝えしてきました。後編では、学年ごと、またポジションごとでのケガ予防の工夫などを伺いました。
新入部員のスタートは慎重に
選手ごとのクセを判断したうえで取り組む練習メニュー(三重高等学校)
三重高校では学年に関係なく、選手全員が同じ練習メニューをこなす。同じ条件の下で競争が行われた先にメンバー選抜があるべき、という考えを徹底しているのだ。
「やはり練習条件を同じにしないと、メンバーを選抜した際に必ず不平不満が生まれます。それではいいチームは作れない。チーム内の納得を生むために、練習メニューだけは必ず同じにする。バッティング練習の際も打つ本数は、下級生、控え、レギュラー陣といった要素に関係なく、同じです」
しかし唯一、例外があり、入部間もない新一年生だけは必ずしも同じ練習をさせてもらえるとは限らない。
「新入部員は体力的には先輩部員に比べると劣るケースが大半です。先輩らと一緒に練習しても体力的に問題ないと判断できれば、最初から通常練習に入れますが、大半の新入部員はその選手の体力、技術に応じた練習メニューの中でスタートを切ります。とにかく『絶対に無理をさせない』ということがキーワードです」
三重高校における軟式出身者と硬式出身者の割合は例年、約半々。
「軟式出身の子は必ず短い距離からキャッチボールをさせますね。そのため軟式出身同志で基本ペアを組ませます」
それでは、硬式出身者の選手はスムースに高校野球に入って行けるのだろうか?
中村監督は「そんなこともないんですよ」と前置きした後、続けた。
「硬式でプレーしてきた子らが安心かといえば、これがそうでもない。体力がない小、中時代に重い硬式球という体力以上の道具を使ってプレーすることで、上体に頼って投げるクセがついたまま、高校に入ってくるケースも少なくないんです。そういった子は体力作りだけでなく、フォームの方をきちんと矯正してから、通常練習に入れていくことを徹底しています」。
早め早めに手を打っていきたい
ひとりひとりその日の状態を見極めて行う投球練習(三重高等学校)
「投手陣の故障を防ぐためにブルペンで投げる球数の上限を定めるといったことはしているのですか?」
筆者が投げかけた問いに対する中村監督の返答は「うちは球数に制限を設けたり、『今日は何球投げよう』といったノルマを設定したりすることは一切ありません。そのときの選手の状態がすべてを決めます」だった。
「普段のフォームには問題がなくても、疲れて体のキレが無くなった時などに、上体だけで投げようとしてしまうときがある。そういうフォームのときは危険信号。痛いという状況に陥る前に強制的に投球をやめさせます。
そのかわり、フォーム的に多少投げても痛くなりそうもないフォームなら『今日は多めに投げても大丈夫だから、数を投げ込んでいろいろ試して、体に覚え込ませなさい』と言った指示を出すこともあります。投手ひとりひとりの状態は違う。そこを指導者は見極めていく必要がある。
前チームのエースの今井 重太朗が夏の甲子園大会で計814球投げましたが、それだけ投げてもフォーム、体力的に問題がない状態と判断したからです。でも今井も5月頃までのフォームだったら814球も投げられなかっただろうし、投げたら間違いなくパンクしてたと思う」
今井は元々、左半身とボールを持った左手の位置がテイクバック時に離れてしまう傾向があったが、ヒジの使い方をコンパクトにすることで、多少投げ込んでも故障しにくいフォームに改良することに成功していた。
「ぼくは早め早めに手を打っていきたいんです。風邪をひいてからどう治すかではなく、風邪をひかせないようにしなければいけない。違和感を感じてる投手はブルペンで投げていても、仕草がおかしかったり、投球間隔がやたら長くなったり、一定じゃなくなったりしてリズムが悪くなったりするものです。
下半身の故障の兆候も、走り方を観察していたらわかります。でもその変化に気づくためにはやはり毎日一人ひとりをしっかりと観察する必要がある。指導者に見極める力があれば、たいていの故障は未然に防げるとぼくは思っています」
[page_break:「高校野球は7年間」という発想で得られる境地とは]「高校野球は7年間」という発想で得られる境地とは
高校での野球がすべてではなく、その先の野球人生を見据えることで、のびのびとプレーできる(三重高等学校)
高校卒業後、大半の選手が大学もしくは社会人で野球を続けるという三重高校野球部員。中村監督は「高校野球は実質2年4か月だが、大学での4年間を含め、高校野球は7年間あるという考え方で取り組もう」と選手たちには伝えているという。
「2年4か月で自身を最高の状態に持っていって結果を出そうとすると、かえって最高の状態になりにくい、というのがぼくの考えなんです。そんな短期間で結果を出そうとすると少しうまくいかなかっただけで、違うやり方にすぐに手を出したくなる。
腰をすえたじっくりとした取り組みができなくなるんです。それじゃ本当の力は身につかない。それに2年4か月の間に結果を出そうとすると、焦りや無理につながり、故障につながるケースだって多くなってしまいます。
でも7年間というスパンで考えると、すぐに結果が出なくても、腰を据えて取り組める。そのことが真の力を身につけることにつながっていく。高校のときは目立たなかった選手が、大学2年、3年になって花開くケースはたくさんあります」
『甲子園出場はその7年の中の過程で成し遂げたい目標ではあるけれど、唯一の絶対目標という考え方はしない』と中村監督。
「だからうちの選手たちは甲子園で変に緊張したり、ガチガチに硬くなることなく、のびのびとプレーできた。普段通りの力が甲子園で発揮できたことがこの夏の大きな勝因だったと確信しています」
「監督とはすごく話しやすい」
「中学の時はこんなに監督としゃべる機会はなかった」
「まさか高校でこんなにも監督とたくさん話せるとは思わなかった」
「常に指導者が自分たちのことを気にかけ、見てくれている」
中村監督へのインタビュー終了後、何人かの選手に話をうかがったところ、そんなコメントが次々と返ってきた。中には次のようなコメントもあった。
「高校野球とはもっと理不尽で苦しいことばかりだと思ったけど、今、毎日練習に行くのが楽しいんです。こんなにも高校野球が楽しいものになるとは思わなかった」
三重高校の大躍進の理由がこの言葉の中につまっているような気がした。
(取材・文 服部 健太郎)